諸子百家

諸子百家

周王朝が衰えると、中国では有力諸侯が王を称して覇権を競う、春秋・戦国時代となる。諸侯は国力の充実に努め、有用な人材の登用を行うようになった。こうした状況の中で登場したのが、諸子百家と呼ばれる思想家たちである。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家、陰陽家、縦横家、兵家などの学派。

 

儒家(じゅか)

孔子(こうし)とその流れをくむ思想家たちの学派。孔子の死後、孟子(もうし)、荀子(じゅんし)らによって発展した。孔子は春秋時代末期に魯(ろ)の国で生まれ、役人となり母国の改革に努めたが成功せず、老後は弟子の教育に専念し、社会の秩序である礼を重んじ、仁を説いた。


 ★ 孔子   仁と礼 克己復礼 
 孔子   紀元前552年10月9日‐紀元前479年3月9日
崩れつつある封建社会を立て直し、かつての周初の理想型に近づけようと人倫の道を探る。
人倫の道、普遍的な人間のあり方、人と人の接し方。仁(人を愛する心)の形として
孝(両親・祖先への敬愛)悌(兄・年長者への従順)忠(自分を偽らない)恕(自分が望まないことを他人にしない)信(他人を欺かない)
克己復礼 内面的な仁を外部に現すには礼が必要とした。己に克ち礼に復る。
また怪力乱神を語らずといい、人知で計れないものについては語らないという合理性があった。


★ 孟子 性善説 惻隠の情 浩然の気 大丈夫 王道政治  
 孟子 紀元前372年? - 紀元前289年 
 幼児が井戸に堕ちようとしているとき、誰でも助けようとする→惻隠の情→仁の芽生えでありこれを育てていく 
 人が生まれながらに持つ惻隠・羞悪・辞譲・是非の4端を育てると仁義礼智の4徳になる 
 4端の育成(善行)を続けると天地間に力強く浩然の気が満ちる 
 王は徳を積んだ者でなければならず、徳なければ革命やむなし。覇道ではなく王道を目指せ。 


  ★ 荀子 性悪説 礼治主義  
 荀子 紀元前313年? - 紀元前238年 
 人間は利を求め他人を憎む心を生まれつき持っている。人は欲望に流されるものである。 
 教育により人為的に礼を身につけることで、社会の秩序は保たれる。 
 →のちに礼を精緻・厳密にした法により人を治めようとする法治主義の元となる。 


  ★ 朱子学 性即理 理気二元論 国家公認の学問となりやすい儒学  
 朱熹 1130年10月18日- 1200年4月23日 
 理=宇宙の原理、道理・条理・倫理・理念・論理などを含む、というより宇宙精神か? 
 気=物質を構成する要素、エネルギーや波か? 
 理と気はまったく別のもの、理は全宇宙に現に存在している。 
 性即理、万物を支配する理がそのまま人間の本性。 
 従って理を極めることで知の極致に至る→客観的な窮理、格物致知 
 客観に重きを置き秩序や法則を重んじる→その意味では礼治主義・性悪説から生じたものか 
  
★ 陽明学 心即理 理気一元 主観的  
 王陽明 1472年9月30日 - 1529年1月10日 
 心即理 理は客観的存在ではなく人間の心に生まれながらにあるものである 
 すなわち理気一元であり、志や感情という主観的なものを重視する。 
 つまり社会の秩序すら予め定まったものでなく、正しき志によって構成すべきものなのである。 
 知行合一、真に知ることと実行することは同じこと。知ってながら行えないのは知らないから。 



道家(どうか)

老子(ろうし)を祖とし荘子(そうじ)に受けつがれた学派で、老子の『道徳経』に基づく。儒家の道徳の説を人為的であるとして批判し、自然に素直に従う事すなわち無為自然の中に理想を見出した。

★ 老子 道(タオ) 大道廃れて仁義あり  
 老子 紀元前6世紀 一説 
 道(タオ)、万物を生み出す理法・原理であり、人間の認識できない「無」である 
 儒学の人倫の道はタオが衰えているからやむなく人為的に生み出された一時的な仮の道 
 人間が本当に従うべきことは無為自然 
 無為恬淡、虚飾や私心を捨てみずから計らわない。柔弱謙下、剛強を捨て柔和にへりくだる。 

  
★ 荘子 無為自然、一切斉同  
 荘周 紀元前369年 - 紀元前286年 
 胡蝶の夢。荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。 
 果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。 
 万物斉同、タオとして見れば一切万物は皆同じ 
 心斉座忘、一切の対立・差別・偏見にとらわれず天地自然と一体になる 
 逍遙遊、絶対自由の境地に遊ぶこと→これを人間の理想として真人と呼んだ 


 

墨家(ぼっか)

墨子(ぼくし)を祖とする学派で、平和主義の立場から兼愛(兼愛交利説とも言う)、非攻説が知られ、倹約を説いた。墨子の根本となる主張である「兼愛」とは、自分と他人を区別しない愛の事。人間が自己中心的になると社会全体が混乱に陥ると墨子は考えた。お互いに他人を愛すれば、相手に利益(=交利)がもたらされると考えた。
「非攻」を唱えた。
人々の幸福のために戦争を否定する「非攻説」を唱えた。戦争で人を殺して国の勢力を伸ばすのは間違った考えであるする。しかし外国から攻められた場合の、自衛のための戦争は否定しなかった。

 

法家(ほうか)

礼や道徳ではなく、法律や刑罰によって国を治めてゆこうという法治主義を説く学派であり、秦の始皇帝によって採用された。法律による信賞必罰、君主への権力集中を唱え、この思想を大成したのは、儒家の荀子に学んだ韓非子(かんぴし)。

 

名家(めいか)

名(言葉)と実(実体)の分析を通じて弁論に通じた学派。恵施や「白馬非馬論」で知られる公孫竜(こうそんりゅう)がいる。体系的な哲学とまで発展せず弁論術で終わったとされている。

 

陰陽家(いんようか)

中国古来の宇宙論である○○五行説を唱えたとされる学派。「陰陽」とは光と影、プラスとマイナスの事であり、「五行」は「木、火、土、金、水」の事です。宇宙の出来事はこうした要素の組み合わせによっていて、それは人間にも影響を及ぼすと主張した。しかし後には「天人感応説」と言って、人間がこの法則を守る事によって外部へと影響を与える事ができるという、非合理的な主張に発展した。「風水」や日本の「陰陽道」はその系列にある。

 

 

縦横家(じゅうおうか)

諸国が覇権を競っていた時代に、巧みな弁舌と奇抜なアイディアで諸侯を説き伏せ、あわよくば自らが高い地位に昇ろうとする、そのような行為を弁舌によって行う者がこの学派である。合従策を唱えた蘇秦と連衡策を唱えた張儀が有名。蘇秦はその弁舌によって同時に六国の宰相を兼ねたとされている。

 

兵家(へいか)

戦術や用兵を説いた学派。孫武『孫子』、孫?『孫?兵法』、呉起『呉子』、商鞅『公孫鞅』范蠡『范蠡』などが有名。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」など現在もことわざとして生きている言葉も多い。

ユーラシア大陸に思想の花が咲き誇った時代

釈迦の正確な生没年は不明。80歳で入滅したことになっているので、没年を設定すれば、自動的に生年も導けることになる。624年566年466年生誕説等あって160年もの開きがある。中を取って、


釈迦、紀元前566年?-紀元前486年?


孔子、紀元前552年10月9日生誕‐紀元前479年3月9日死没


マハーヴィーラ紀元前549年生誕、紀元前477年死没


ソクラテス紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日
プラトン紀元前427年 - 紀元前347年
アリストテレス前384年 - 前322年3月7日

墨子不詳、紀元前450~390年頃と推定

孟子紀元前372年? - 紀元前289年

荘子紀元前369年 - 紀元前286年と推定

釈迦・孔子・六師外道他のインド古哲たちは紀元前500年頃、その思想の花を咲かせた。100年遅れてソクラテスさらに100年遅れて孟子荘子くらいまで含めてユーラシア大陸に思想の花が咲き誇った時代と呼んでいいだろう。