依釈段参考資料

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印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機

印度西天之論家  (印度西天の論家) 
中夏日域之高僧  (中夏・日域の高僧) 
顕大聖興世正意  (大聖興世の正意を顕し) 
明如来本誓応機  (如来の本誓、機に応ずることを明かす) 

目次
•インド・中国・日本の7人の高僧方
•親鸞聖人はなぜ救われたのか
•うちで水が使える原因は?
•正信偈の構成は?
•それはちょうどリレーのように
•七高僧が教えられたこと
•お釈迦さまが教えられた、ただ1つのこと
 
インド・中国・日本の7人の高僧方

これは
「印度西天の論家、中夏・日域の高僧、
  大聖興世の正意を顕し、
  如来の本誓、機に応ずることを明かす」
と読みます。

まず「印度西天の論家、中夏・日域の高僧」とは、
 親鸞聖人が大変尊敬されている、
 七高僧のことです。

七高僧
 (1)龍樹菩薩
 (2)天親菩薩   インド
(3)曇鸞大師
 (4)道綽禅師   中国
 (5)善導大師
 (6)源信僧都   日本
 (7)法然上人

「印度西天」とはインドのこと、
 「論家」とは、
 龍樹菩薩と天親菩薩のお二人です。

龍樹菩薩と天親菩薩を
 なぜ「論家」といわれるのかといいますと、
 仏教には「経論釈」とあります。

「経」とは仏の説かれたものだけをいいます。
 「論」とは菩薩の書かれたものをいいます。
 「釈」とは、お経や菩薩の論を解説されたものです。

 釈迦 経
  菩薩 論
  高僧 釈


龍樹菩薩や天親菩薩は
菩薩といわれるすぐれた方でしたので、
 龍樹菩薩や天親菩薩が
 お釈迦さまの経典を解釈されたものを
「論」といわれます。

龍樹菩薩は『十住毘婆沙論』
 天親菩薩は『浄土論』を書かれています。
ですから「印度西天の論家」とは、
 龍樹菩薩と天親菩薩のことです。

次に
「中夏・日域の高僧」とは
「中夏」は中国、
 「日域」は日本のことです。

インドで説かれた仏教は
 やがて中国へ伝えられ、
 朝鮮半島を経て日本へ伝えられました。

七高僧のうち、中国の方は、
 曇鸞大師、道綽禅師、善導大師です。
 日本の方は、
 源信僧都、法然上人です。

これらの5人の方を
「中夏・日域の高僧」と言われています。
ですから「印度西天の論家、中夏・日域の高僧」で、
 七高僧のことです。
 
親鸞聖人はなぜ救われたのか

29歳で阿弥陀仏に救われて、正信偈の最初に
「親鸞は阿弥陀仏に救われたぞ、
  親鸞は阿弥陀仏に助けられたぞ」
と言われた親鸞聖人は、
こんな多生億劫にもあえない救いにあえたのはどうしてだったのか、
 恩徳讃に歌い上げられています。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし (親鸞聖人『恩徳讃』)

こんな幸せの身に救われたのは、
まったく如来大悲のご恩だ、
と親鸞聖人は言われています。
 「如来大悲」とは、
 大慈悲の阿弥陀如来ということです。

「親鸞この身に救われたのは
 大慈悲の阿弥陀如来のお力によってのことだ」
とハッキリ知られた親鸞聖人は、
 「そのご恩に万分の一、億分の一でもお返しせずにおれない」
と言われているのが次の
「身を粉にしても報ずべし」です。

多生億劫にもあえないことにあわせて頂いた
阿弥陀如来のご恩は
身を粉にしても決して報いきれるものではない
 と感泣なされています。

次に親鸞聖人が
「師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし」
と言われていますのは、この弥陀の救いに値えたのは、
 師主知識のご恩であったということです。

「師主知識」とは、
 如来大悲を私たちに正しく伝えてくだされた方のことです。

いくら大慈悲の阿弥陀如来の本願があっても
教えて下さる、これらの方がおられなかったら、
 親鸞は救われることはなかったであろう。
この師主知識の恩徳も
親鸞、骨を砕きても報いずにおれないんだ
 と法悦にむせんでいられるのです。
 
家で水が使える原因は?

昔、風呂に入るとき、
 水は井戸から汲んで来て使っていました。

それが現在のように、
 水道ができて、蛇口をひねっておけば水がたまる
便利なことになったとき、
 水道はありがたいと思います。

どうしてこのように楽に水がでるんだろうか
 と考えて行きますと、
まず、水源に池があるからだ、と思います。
 豊富な水をなみなみとたたえた大きな池がなかったら、
こんな便利なことにはなりません。

では池さえあれば、
うちに水が出るのかというと、
そうではありません。

水源の貯水池の水が、
 水道管でうちまで運ばれてこないと
水は出ないわけです。

水道から水が出て、
ああ便利だな、と喜ぶようになったのは
 まず貯水池があるからですが、
それから、その水を
我が家まで運んでくれる水道管があるからだ
 と知らされます。

貯水池の有り難さ、
 水道管の有り難さを知ることになるのです。
 
正信偈の構成は?

親鸞聖人が、大慈大悲の阿弥陀如来あったなればこそと
阿弥陀如来のご恩を喜ばれているのが、
このたとえでいうなら、水源の貯水池です。
この池に満々と水がたたえられてあればこそ
今このように、便利に水を使わせてもらうことできるんだと
池のご恩をまず知らされます。

親鸞聖人は、その阿弥陀仏のご恩について、
 正信偈の最初「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の後から
 ずーっと教えられています。

元祖・師主知識は釈迦「如来所以興出世~」から
 そしてこの「印度西天の論家」からは
水道管のご恩です。
 恩徳讃でいえば
「師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」
と師主知識のご恩を教えられているのが、
 正信偈では
「印度西天の論家」から後の所です。

「この七高僧の中で、一人かけても
 親鸞は助かることはできなかった。
  この印度西天の論家あったなればこそ、
  中夏日域の高僧方が現れて、
  真実の弥陀の本願を伝えてくだされたなればこそ」
と、ご恩を深く感じておられる所です。
 
それはちょうどリレーのように

それはお釈迦さまから親鸞聖人までの千数百年、
 阿弥陀仏の正しい救い(本願)を
 これらの方がリレーしてこられたということです。

龍樹菩薩からバトンを受け取られたのが天親菩薩
 天親菩薩からバトンを受け継がれたのが曇鸞大師
 曇鸞大師から道綽禅師
 道綽禅師から善導大師
 善導大師から源信僧都とバトンタッチされて、
そして法然上人から親鸞聖人が聞かれて
阿弥陀仏の救いにあわれたのです。

リレーは、バトンを落とすと失格です。
 親鸞聖人は、
 「これらの方々が一人抜けても、
 親鸞は阿弥陀仏に救われることはなかったであろう。
これら7人の方のご恩があったなればこそ」
とお喜びになって、
 七高僧のお名前を一人一人出され、
そのご恩を正信偈にほめたたえておられます。

では、これら七高僧方は、
どのようなことを伝えられたのでしょうか。
 
七高僧が教えられたこと

それを次に、
 「大聖興世の正意を顕し、
  如来の本誓、機に応ずることを明かす」
と教えられています。

「大聖」とはお釈迦さまのことです。
 「興世」とは、この世に現れた、
 「正意」とは、目的ということですから、
 「大聖興世の正意」とは、お釈迦さまがこの世に現れて、
 仏教を説かれた目的のことです。

仏教とは、約2600年前、
インドにお生まれになられた
 お釈迦さまが、
 35歳で仏のさとりを開かれて
80歳でお亡くなりになるまでの
45年間
 説かれた教えを仏教といいます。

お釈迦さまの説かれた仏教は、
 今日七千余巻の「一切経」
として書き残されています。

「お釈迦さまはこの七千余巻の一切経に何を説かれたのか、
  この七高僧方が明らかにしてくだされた。
  だから親鸞は救われたんだ」
ということです。

では、お釈迦さまはこの世へ何を教えに来られたでしょうか。
 
お釈迦さまが教えられた、ただ1つのこと

それはただ一つのことでした。

「機に応ずる」とは
「機」とは、人のことですから、
どんな人にも、適応するということです。

どんな人でも救われる
「如来の弘誓」を説かれるためであった。

この「如来」とは、阿弥陀如来のこと、
 「本誓」とは本願のことですから、
 「如来の本誓」とは、阿弥陀如来の本願のことです。
 阿弥陀仏の本願は「誓願」ともいいますので、
これを親鸞聖人は「本誓」と言われています。

すべての人を差別なく救うというお約束は、
 大宇宙広しといえども
本師本仏の阿弥陀仏しかできませんから、
 釈迦がこの地球上に現れて、
 仏教を説かれた正意は、
この阿弥陀仏の本願一つなんだ。

もし七高僧方が
如来の本誓、機に応ずることを
明らかにして下されなければ、
 阿弥陀仏の本願は特別な人しか助からないと思っていた。
どんな人でも救われると知ることができなかったから、
 聞くことができなかった、救われることはなかったのだ。

七高僧が現れて、
 「阿弥陀仏の本願はすべての人、
  罪悪深重・煩悩具足の者を助ける
 というお約束だから、間違いないんだぞ」
と明らかにしてくだされたなればこそ、
 今、親鸞のような者でも救われることができたんだ。
この方々のご恩、骨を砕いても報わずにおれない。
と言われています。

「インド、中国、日本の七高僧は
 一貫して同じことを教えられている。
  釈迦が仏教を説かれたのは、すべての人が救われる
 弥陀の本願ただ一つであった。
  これは親鸞が勝手に言っているのではない、
  七高僧が言われているのだ。
  だからはやくあなたにも聞いてもらいたい。
  必ずこの世で絶対の幸福に救い摂られるときがあるのだよ」
と教え勧められているお言葉です。

釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺

釈迦如来楞伽山  (釈迦如来楞伽山にして) 
為衆告命南天竺  (衆の為に告命したまわく、
          南天竺に) 

目次
•お釈迦さまの予言
•八宗の祖師・小釈迦
•最初からそんなに偉大な方だった?
•龍樹菩薩の教えられたこと
•死んだら無になる?
•永遠不変の魂があるの?
 
お釈迦さまの予言

ここからの
「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
  龍樹大士出於世 悉能摧破有無見」は
「釈迦如来楞伽山において、衆の為に告命したまわく、
 『南天竺に龍樹大士、世に出でて、悉く能く有無の見を摧破し』」
と読みます。

「釈迦如来」とは仏教を説かれたお釈迦様のことです。
 「楞伽山にして」とは、楞伽山においてということです。
  お釈迦様が生きておられた時、
インドの楞伽山という山で
説法をしておられた事がありました。
この時の説法を『楞伽経』と言います。

その時、沢山の人が参詣せられていました。
それが、次に「衆」と言われています。

「衆の為に」とは、
その参詣者に対してということです。
 「告命したまわく」とは、
 告げられた、予言せられたということです。

その内容が、
 「南天竺に龍樹大士、世に出でて、悉く能く有無の見を摧破し」
ということです。

「南天竺に」とは、
 「天竺」とは、インドのことですから、
 「南インドに」ということです。

「私がこの世を去った後、
 700年後に南インドに龍樹という勝れた人が
現れるだろう」

この時すでに、700年後
とおっしゃっています。
お釈迦様は、南インドに、龍樹菩薩というすぐれた人が現れると
予言せられました。

そして、事実、予言通りに、
 龍樹菩薩という人が現れておられます。

では、龍樹菩薩はどんな方だったのでしょうか。
 
八宗の祖師・小釈迦

親鸞聖人が、七高僧の最初にあげられる
龍樹菩薩は、ただすぐれた人とあがめられただけではありません。
 「八宗の祖師」といわれています。

「八宗」とは、仏教には色々の宗派があります。
 色々の宗派があれば、その一つ一つに
 その宗派を開いた「祖師」があるはずです。

ところが、仏教にたくさんの宗派はあるけれども、
すべての宗派の祖師と言われるほどの方が
龍樹菩薩だということです。

いかに龍樹菩薩が
多くの人たちから尊敬されているか
分かります。

お釈迦さまは、三大聖人、二大聖人といわれてもトップですから、
この地球上に現れた中で一番のすぐれた人はお釈迦さまですが、
その次となると、龍樹菩薩といわれるほどで、
 「小釈迦」
 小さなお釈迦さまともいわれる
大変偉大な方なのです。

ではこの龍樹という人は、
はじめから菩薩といわれるような方であったのかというと
 そうではありません。
 
最初からそんなに偉大な方だった?

この龍樹という人は非常に聡明で、まだ若い頃に、
 図書館であらゆる蔵書を読み、
 当時の学問をみな理解してしまいました。

だからもう勉強することがない、
 知らないことは何もない、
おれより物を知っている者は誰もいないだろう
 とまで豪語するようになります。


そんな人だったので、
 多くのすぐれた友達もできました。

そこで青春真っ盛りの龍樹は、
 「もう学問の楽しみは終わった。
  あとは肉体の楽しみを求めるしかない」
と、友だちと女あさりを始めるのです。

やがて並の女で満足できなくなった龍樹たちは、
 全国から選り抜きの美女が集まっている、
 王様の城へ行くことを思いつきます。

こうして龍樹たちは、夜な夜な宮中へ忍び込んで
王様の女とたわむれる毎日でした。

ところが王様が、
どうも毎晩女たちの様子がおかしいと気づき、
 家臣に調べさせると、
やがて、龍樹という者を中心に、
 数人の若い男たちが宮中の女をたぶらかしに来ていることが
発覚します。

それを聞いた王様は、かんかんになって、
 「今晩その者たちが来たら、その場で首をはねよ。
  殺してしまえ」
と警備の者たちに命じました。

警備員たちは、
 龍樹たちの通り道に
隠れて待ち構えます。

すると今晩も、龍樹たちは女あさりに
 まんまとやってきた。
 「賊どもを斬り捨てよ」
 王が号令をかけると、
 飛び出してきた群臣の刃に、
 友人たちは、ばっさばっさと目の前で殺されていく。

ところが利口な龍樹だけは、
そんな時は一番えらい人の後ろに隠れればよいと、
 王様の後ろへぴったりはりついて隠れ、
 命からがら家に帰ってくることができた。

龍樹はすっかりしょげかえった。
ついさっきまで一緒に楽しくやっていた友達が
眼前で無残に殺された。
 「ああ、この世は何と無常なのか。
  おれは一人ぼっちになってしまった。
  もう彼とは会えないのか。話もできないんだな、
  今頃彼らはどうなったのか。
  自分も死んで行くことがあるんだな」
と激しい無常観に襲われたのです。

そして、今まで己の欲望のために、
 多くの女をだまし、盗みをはたらいてきた罪悪を知らされて、
 「こんな罪ばかり造った俺は、死んだら一体どうなるのか」
と、苦しみました

仏教の教えを求めてくいときには、
 無常観と、罪悪観が大切だといわれます。
まさに、この時の龍樹がそうであったのです。

そして彼は、自分が死んだらどうなるのか、
この一大事、解決する方法はないかと探し求めて、
やがて仏法を求めるようになったのです。

厳しい修行に打ち込んだ龍樹は、
かなりの高いさとりの位まで到達しています。

さとりといっても、低いものから高いものまで、
 52あり、その最高の位を仏覚といいます。

「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
と言われますように、52段目の仏覚まで悟られたのは、
 地球上ではお釈迦さまだけですが、
 龍樹菩薩は、41段まで悟ったといわれます。
お釈迦さまの次は、この龍樹菩薩なのです。

こくして龍樹菩薩は、
 「八宗の祖師」「小釈迦」と言われ、
 七高僧の一番最初にあげられる、
 偉大な方になったのです。

では、この龍樹菩薩は、どんなことを教えられたのでしょうか。
 
龍樹菩薩の教えられたこと

次に親鸞聖人は、
 「悉く能く有無の見を摧破せられた」
と教えられています。

「能く」とは、徹底的にということです。
 「摧破せられた」とは、排斥せられたということです。
 「有無の見」とは、「有の見、無の見」のことです。
  龍樹菩薩は、有の見、無の見を共に排斥せられた。
  間違った教えを悉くぶち破り、
 真実の仏法を明らかにされた、
ということです。

有の見、無の見といいますのは、
お釈迦様が仏教を説かれた当時、
インドには九十五種の外道がありました。
 「外道」とは仏教以外のすべての宗教のことです。

それらを大きくわけると、
 「断見」という外道と、
 「常見」という外道の2つになります。

この「断見外道」を『正信偈』では、
 無の見といわれ、
 「常見外道」を有の見といわれているのです。

死んだら無になるというのが断見外道です。
 霊魂なるものがあって、
 肉体が無くなった後もそれは無くならず、
 未来永遠続いていくと教えたものを
常見外道といいます。

当時の九十五種の外道は、
このどちらかの教えだったのですが、
これはお釈迦様の時代だけでなく、
 今日でも全く同じです。

この有無の見を、
お釈迦様はどちらも間違いだと教えられました。

お経にそれを、

因果応報なるが故に来世なきに非ず、無我なるが故に常有に非ず。

と教えられています。
 

死んだら無になる?
因果応報とは因果の理法とか、
 因果の道理ともいわれるものです。

まいた種は必ずはえる。まかぬ種は絶対にはえぬ、
が因果の道理です。
これは大宇宙の真理ですから、
 万に一つ、億に一つも例外はありません。

断見外道の言うように、
もし死んで無になるとしたらどうなるでしょう。

たとえば1人の人を殺した人が
 その報いを受けて1回死刑にあうとします。

しかし10人殺しても1回死刑、
 100人殺した人も1回の死刑です。

もし死んで無になるとしたら、
 何人殺そうが1回の死刑で終わりということですから、
 1人殺してしまったら、あとは何人殺しても結果は一緒、
 殺し得ということになってしまいます。
これでは納得がいきません。

1日働いて1万円の給料なら、
 10日働けば10万円、
 100日働けば100万円もらえれば納得いきますが、
 10日働いても、
 100日働いても1万円しかもらえないとしたら、
 働く人はありません。

道理理屈にあわない。
 因果の道理に合わないからです。

同じことで、百人殺して、一回の死刑にあったとしたら、
 残りの99人分の結果を受ける世界が、
 死んだ後になければ大宇宙の真理である
因果の道理にあわないのです。

これを因果応報なるがゆえに来世なきにあらず。
だから断見は間違いだと教えられたのです。

では、仏教では、永遠不変の魂があると教えるのでしょうか?
 
永遠不変の魂があるの?

次に「無我」とは我が無いということです。
ここで「我」といわれているのは
印度の言葉でアートマンといいますが、
 「私」という固定不変のものがあるという考えです。

常に変わらない私というものが、
 肉体のほかにあって、
それが過去から現在、肉体が無くなっても
続いていくという考えです。

しかし仏教では無我といわれ、
 我という変わらないものはない、
 固定不変のものはないと教えられています。
 一切のものは因縁が結びついてできており、
 因縁が離れれば消えていくものだということです。

引き寄せて結べば柴の庵にて 解くればもとの野原なりけり

という歌があります。

「庵」とは家のことです。
 柴を引き寄せて結べばそれで家が出来ますが、
 結んであるヒモをほどけば、家はあとかたもなくなり、
もとの野原になるということです。

家という変わらないもの、
 車という固定されたものがあるのではないのです。

しばらく因縁が結びついて家や車と呼ばれているだけで、
やがて因縁が離れれば、あとかたもなくなります。
これが無我ということです。

死んだ後も不滅の霊魂があって続いていく。
 常に変わらないものがあるという考えが有の見、常見外道ですが、
 「無我なるがゆえに常有にあらず」といわれているように、
そんな固定不変の霊魂なるものはないのだ
 と教えられているのです。

だから龍樹菩薩も、有の見、無の見ともに間違いであると、
ことごとく徹底的にそれらをぶち破られ、
 真実の仏法を明らかにされたのだと
親鸞聖人がほめたたえておられるのが、
この正信偈のお言葉です。

龍樹大士出於世 悉能摧破有無見

龍樹大士出於世  (龍樹大士、世に出でて、) 
悉能摧破有無見  (悉く能く有無の見を摧破し) 

目次
•死んだらどうなる?
•”私”はどこに?大号尊者
•肉体が入れ替わっても”私”
•断見を否定し、永遠不滅の生命を説く仏教
•諸法無我
•固定不変の霊魂を否定し、後生の一大事を説く仏法


 「有の見」「常見」
  ……死後変わらぬ魂が存在する
「無の見」「断見」
  ……死後何も無くなる


 
死んだらどうなる?
人間死んだらどうなるか。
 有史以来、種々に議論されてきましたが、大別すれば、

「有の見」と
「無の見」の二つになります。

「有の見」は「常見」ともいい、
死後変わらぬ魂が存在するという
考え方です。

「無の見」は「断見」ともいい、
死後何も無くなるという見方です。

断見・常見ともに仏教では、真実を知らぬ外道と教えられ、
 龍樹菩薩は、この有無の二見を徹底的に打ち破られました。

 
”私”はどこに?大号尊者
”私”とは何ですか、と尋ねると、
 頭のてっぺんから足のつま先まで、
 自分の身体を指さして、「これが私」と答え、
「だから死ねば焼いて灰になって終わり。死後なんてないよ」
と思っている人がありますが、
 仏教にこんな話があります。


  釈迦に大号尊者という弟子があります。

  彼が商人であったとき、他国からの帰途、道に迷って日が暮れました。
  宿もないので仕方なく、墓場の近くで寝ていると不気味な音に目が覚めます。
  一匹の赤鬼が、人間の死体を持ってやって来るではありませんか。
  急いで木に登って震えながら眺めていると、間もなく青鬼がやって来ました。

 「その死体をよこせ」
と青鬼が言います。

 「これはオレが先に見つけたもの、渡さぬ」
という赤鬼と大ゲンカがはじまりました。

  その時です。
  赤鬼は木の上の大号を指さして、
 「あそこにさっきから見ている人間がいる。あれに聞けば分かろう。
 証人になってもらおうじゃないか」
と言い出しました。

  大号は驚きました。いずれにしても食い殺されるのは避けられません。
  ならば真実を言おうと決意します。
 「それは赤鬼のものである」
と証言。
 青鬼は怒りました。大号を引きずり下ろし、片足を抜いて食べてしまいました。
 気の毒に思った赤鬼は、誰かの死体の片足をとってきて大号に接いでやりました。

 激昂した青鬼は、さらに両手を抜いて食べます。
 赤鬼はまた、他の死体の両手を取ってきて大号につけてやりました。
 青鬼は大号の全身を次から次に食べました。
 赤鬼はその後から、大号の身体を元どおりに修復してやります。
 青鬼が帰った後、
 「ご苦労であった。おまえが真実を証言してくれて気持ちが良かった」
と赤鬼は礼を言って立ち去りました。

一人残された大号は、歩いてみたが元の身体と何ら変わりません。
しかし今の自分の手足は、己の物でないことだけは間違いありません。
どこの誰の手やら足やら、と考えました。
 街へ帰った彼は、
「この身体は誰のものですか」
と大声で叫びながら歩いたので、
大号尊者とあだ名されるようになったといわれます。

 
肉体が入れ替わっても”私”

 古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは、

「万物は流転する(パンタ・レイ)」
という有名な言葉を残しています。
すべてのものは、変化し続け、一時として同じではないということです。

  「同じ川に二度めに入った時は、川の流れも自分自身もすでに変わって
 いるからです。
  こんなこばなしがあります。
  

ある男が借金しました。
 債権者がとりたてに行ったところ、
 「借りた人間と、オレは別人だ。なにしろパンタ・レイだからね」
と返済を断りました。

 怒った債権者は、その男をポカポカ殴り、ケガさせます。
 「何をする!」
と腹を立て、殴られた男は裁判所に訴えたが、殴った男は、
 「殴った人間と、オレとは別人だ。なにしろパンタ・レイだからね」
とやり返したといいます。

 
断見を否定し、永遠不滅の生命を説く仏教
肉体がどんなに変化しても、自分した行為に責任を持たねば
 ならないのは当然でしょう。

してみれば、そこには一貫して続いている統一的主体を認めねば
 なりません。

 仏教では、私たちの行為を業といいます。
業は目に見えぬ力となって残り、
 決して消滅しません。これを業力不滅といいます。

そして必ず果報を現します。
いわゆる、まかぬタネは生えませんが、まいたタネは必ず生える
 と教えられます。
 肉体を入れ替えても、焼いて灰にしても、業不滅なるがゆえに、
その業報を受けねばなりません。

ここに仏教では、死後も存続する不滅の生命を教え、
 死後(後生)を否定する「無の見」を、


因果応報なるが故に、来世なきに非ず」
                (阿含経)


と排斥しています。

では後生を説く仏教は、死後変わらぬ魂が有るとする
「有の見」ではないか、と思うかもしれませんが、
そうではありません。

 

諸法無我
仏教では「無我」と教えられます。
固定不変の我というものは本来ありません。

つまり有の見のような、死んでも変わらない魂というものはない
 ということです。

そして、あらゆるものは因縁所生のものと説かれます。
 因と縁が結びついて、仮にでき上がっているものということです。
 昔の人はこれを、


引きよせて 結べば柴の 庵にて 
     解くればもとの 野原なりけり


 と教えています。
  
庵というものは、野原の柴を集めて結べばできますが、
 縁がなくなってバラバラになれば、元の野原になります。

一時、庵というものがあるのであって、変わらぬ「庵」
というものがあるのではありません。
 
家でも、因縁でいろいろのものが集まって作られています。

 柱、土台の石、壁、畳、かわら、ふすま、などが集まって、
あのような形になっているものを「家」といっているのです。
 因縁が離れてバラバラになれば、家はどこにもありません。
 家というものが、いつまでもあるように思いますが、
やがて因縁がなくなれば、跡形もなくなりますから、
 「家」という固定不変の実体はないのです。

 因縁のある間だけ家ということです。
  
自動車ならば約三万個の部品が、因縁和合して、あのような形に
 できあがっている間、「自動車」といわれるのです。
 部品が散乱していたら、だれも自動車とはいわないでしょう。

 日本のロケットH-IIなら、実に約28万個の部品が、
 精密に組み合わさっている間、ロケットなのです。
  
 例外なく皆そうです。
これを仏教で諸法無我といわれます。
”私””私”と言っていますが、変わらぬ「我」という実体は
 ないということが、無我です。
  
 仏教の深い哲理ですが、分かりやすく言うとそういうことです。
  
 
固定不変の霊魂を否定し、後生の一大事を説く仏法
 仏教では、私たちの永遠の生命を阿頼耶識といわれ、
「暴流のごとし」と説かれています。

暴流とは滝のことです。遠くから眺めれば、
 一枚の白布を垂らしたように見える滝も、
 実際にはたくさんの水滴が激しく変化しながら
続いているのです。

そのように阿頼耶識は、自分の行為を次から次と業力としておさめて
絶えず変化し、流転輪廻していくのです。
ゆえに釈尊は、


無我なるが故に、常有に非ず。(阿含経)


といわれ、固定不変の霊魂を否定されています。

だから、死ねば魂が墓の下にジッととどまったり、山や木や石に
宿り、いつまでも残っていることなどできないと教えられます。

ましてや、その霊魂が生きている人間に禍福を与える力があるなどと
説くものは、迷信だと打ち破られているのです。

すべての人は、各自の造った業によって、死ねば種々の形に心身が
変化し、遠く独り去っていくものであると、次のように釈尊は
説かれています。


遠く他所にいたりぬれば能く見る者なし。
 善悪自然に行を追いて生ずる所、
 窈窈冥冥(ようようみょうみょう)
として別離久しく長し。道路同じからずして
会い見ること期なし、甚だ難く甚だ難し、
また相値うことを得んや。(大無量寿経)


”遠く他の所へ去ってしまえば、再び会い見ることはできない。
 独り一人の造った善悪の業により、次の生へと生まれ変わっていく。
 行く先は遠く、暗くしてたよる道もなく、愛する者とも永劫の別れ
 をしなければならぬ。各自の行為が違うから、死出の旅路は孤独
なのである”

親鸞聖人は、


一たび人身を失いぬれば万劫にもかえらず。
 (親鸞聖人『教行信証』)


といわれ、蓮如上人は、


われらが今度の一大事の後生
 (蓮如上人『領解文』)


と言われているとおり、
すべての人の後生に一大事のあることを
教え、その解決の道を説示されているのが仏法です。

龍樹菩薩が、有無の二見をことごとく破られたのは、
 後生の一大事を説く正しい教えを明らかにするためでした。
それが次の、


宣説大乗無上法


ということです。

では、後生の一大事の解決の道を、
 龍樹菩薩はどのように明らかにされたのでしょうか。

宣説大乗無上法

宣説大乗無上法  (大乗無上の法を宣説し) 

目次
•どんないいものも宣伝しなければ誰も分かりません
•大乗仏教と小乗仏教
•地獄へ行く人、極楽へ往く人
•世の中でも成功する人は
•無上の法に生かされた者は
•黙っておれる世界でない
•不可称・不可説・不可思議の世界
•無慈悲な人間が伝えずにおれなくなるのは
•自利利他の権化
•十方にひとしくひろむべし
 
どんないいものも宣伝しなければ誰も分かりません
難病の特効薬があっても、教えてくれる人がなければ、
 苦しみ死んでいかねばなりません。
 薬があるのに、宣伝されないために助からない。
そんなことがあってはならないでしょう。

 「宣説」の宣は、宣伝、コマーシャルです。
龍樹菩薩が宣伝し、説かれたことは、
「大乗無上の法」という、
すべての人が、この世から未来永遠に救われる教えでした。

 
大乗仏教と小乗仏教
「大乗」とは、大乗仏教のことです。
それに対して小乗仏教といわれるものがあります。


○小乗仏教
   聞き誤って伝えられた仏教。
   ──我利我利の教え
○大乗仏教
   正しく伝えられた仏教
   ──自利利他の教え


これは、仏教に二つあるということではありません。

小乗仏教は、釈尊の教えを聞き誤って伝えられた仏教であり、
大乗仏教は、正しく伝えられた仏教です。

 真の仏教は、すべての人を救う、大きな乗り物のような教えです。
それを聞き誤り、小さな乗り物にしてしまったので、
小乗仏教と言われるようになったのです。

 中でも顕著な誤りは、大乗仏教が自利利他をその精神とするのに対し、
小乗仏教は我利我利の教えに陥ってしまった点です。

「利」とは、利益、幸福のことですから、
我利我利とは、
”自分さえ助かれば、他人はどうなってもよい”
という自己中心的な考えです。
そこまで極端に思わずとも、
”まず自分が助からなければ。他人のことまで考えておれない”
という消極的・退嬰的な姿勢のことです。

 真の仏教精神、大乗仏教は、
”自分が幸せになる、同時に他人も幸せにする”
 ”他人を幸せにするままが自分の幸せになる”
二つであって一つ。
これが自利利他です。
 
地獄へ行く人、極楽へ往く人
物好きな男が、ひとつ地獄を見にゆこうと、
ノコノコ出かけました。たまたま地獄は昼食時で、
 食卓の両側に亡者どもが、ずらりと並んでいます。

 地獄のことだから、どうせロクなものを食べてはいないだろうと、
テーブルの上を見ると、あにはからんや山海の珍味の山。
  
にもかかわらず、亡者どもは、骨と皮にヤセ衰えています。
 「おかしいなぁ」とよくよく見ると、一様に1メートル以上もある
長い箸を持っています。

これでは、いくらおいしい御馳走が目前にあっても、
 自分の口へは入れられません。

ついで男は、極楽へ行ってみることにしました。

ちょうど、夕食時で、テーブルの両側には、
 仲良く極楽の往生人たちがすわっていました。
もちろん御馳走は、山海の珍味です。
さすがにみんな、丸々と肥えているなぁと思いながら、
ふと箸に目をやると、何とその箸も地獄と同じように、1メートル以上も
 あるではありませんか。

一体、地獄と極楽とは、どこが違うのかと、
 小首をかしげて食べ始めるところを見ていました。

  すると、はさんだ御馳走を自分が食べないで、
お互いに向こう側の人に食べさせているではありませんか。
 「なるほど、極楽へ行っている人の心がけが違うわい」と、
 横手を打って感心しました

 
世の中でも成功する人は
 これはもちろん、たとえ話ですが、
 仏教では、我利我利亡者の未来は暗黒の地獄といわれます。

そして、光明輝く浄土に向かう者は、相手も生かし、己も生きる、
 自利利他の大道を進みなさいと教えられます。

 商売でも、自分の利益ばかりを求める人はいっとき儲けることはできても、
 「ドカ儲けすりゃ、ドカ損する」で、やがて財を失っています。

ある成功者に、秘訣を尋ねると、こう語ったそうです。
 「人はまるい風呂に入った時、お湯を胸元にかき集める。
すると湯はわきから逃げていく。
 私は湯を向こうへ押す。すると回って戻ってくる。つまり、
 私は儲けをどんどん人に与えた。すると人も自分もさらに
儲けさせてくれた。多くの人は、儲けを自分だけにかき集めようと
 するから儲からない。」

また、
「最もよく人を幸せにする人が、最もよく幸せになる」
という言葉を座右の銘としていた実業家もありました。

世の成功者の考えは、大乗仏教の精神に通じているようです。

 
無上の法に生かされた者は
次に、無上の法とはどんなことでしょうか。

『法華経』も『華厳経』も『涅槃経』も大乗の教えですが、

すべての人が真に救われる、無上の法はただ一つ。
 『大無量寿経』に説かれている阿弥陀如来の本願です。

大乗の中の大乗、無上仏の本願に救い摂られ、
 無碍の光明海に雄飛させられた人は、


他力の信をえんひとは
仏恩報ぜんためにとて
如来二種の回向を
十方にひとしくひろむべし
             (正像末和讃)


と親鸞聖人仰せの通り、
真実の仏教を十方に広めるために、
 力尽くさずにおれなくなります。

 救われた人はもちろんですが、
いまだ信心獲得していなくとも、
尊い仏法を知らされたならば、人に伝えずにおれません。

 世間ごとでもそうでしょう。

どこのそば屋にも満足できなかった、大のそば好きが、
ある日ふらっと入った店で極上のそばに巡り会いました。

それ以来、毎日のように通いつめているその人が、そば屋のことを
誰にも言いません。そんなことがあるでしょうか。

 「おいしいそば屋が見つかった。あんなうまいそば、生まれて初めてだ。
あなたも一度行ってたべてごらん」

顔中口にして、言わずにおれないのではないでしょうか。

 
黙っておれる世界でない
どの医者にも見放された難病人が、
 絶望のふちで世界一の名医に巡り会い、全快したらどうでしょう。

 私は命拾いした。同じ病気で苦しんでいる人を知っているが、
 名医のことは内緒にしておこう。
そんな人かあれば、無慈悲な鬼というほかないでしょう。

まして仏法は、この世五十年か百年の肉体を救うどころではありません。
未来永劫の後生の一大事を救う教えです。
その無上の妙法を知りながら、宣説しないなど、考えられないこと。

「私だけ聞いておればいい。人に勧めるのは、どうも……」

と尻込みするのは、まだ仏法の妙味を知らされていないからです。
そばならば、味が分かっていないのです。

 自分がおいしいと思えなければ、他人に言う気になれないでしょう。
 本当の味を知った人ならば、じっとしてはおれません。

「私は救われた。だけど人には言いたくない」
などと黙っておれるような世界とは、ケタが違うのです。

 
不可称・不可説・不可思議の世界
「でも、言って分かってもらえるようなものでないし……」
それはそのとおり。
 親鸞聖人は、


「不可思議・不可称・不可説の信楽なり」(教行信証)


とおっしゃっています。

こんな広大無辺な境地、不思議な世界、
 説いても説いても大海の一滴も表せない、とても分かってもらえない。

しかし大乗精神は次が違います。
だからこそ、身を粉にしても骨を砕いても、言わずにおない、
 説かずにおれない。
これが、ひとしく救われた者の真情なのです。

 
無慈悲な人間が伝えずにおれなくなるのは
「しかし親鸞さまでさえ、無慈悲な人間とおっしゃっているではないか。
 私たちに人を助けるなどという大それたことができようか」
そんな声が聞こえてきそうです。
 確かに聖人は、


小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ
如来の願船いまさずは
苦海をいかでかわたるべき(悲歎述懐和讃)


とおっしゃっています。

「小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもうまじ」

 慈悲のかけらもない親鸞。他人に仏法を伝えて幸せになってもらいたいと
願う心もない、と告白されています。

しかし、この聖人の熾烈な懺悔のお言葉を聞いて、

”だから自分も無慈悲でいいのだ”
などと思うのは、大変な仏法の聞き誤りです。

それなら聖人の、あの大活躍は何だったのでしょうか。

 邪険な日野左衛門を、石を枕に雪をしとねに済度されたり、
 剣かざして殺しに来た弁円に、命がけで法を説かれるなど、
なぜできたのでしょうか。

「如来の願船いまさずは、苦海をいかでかわたるべき」
それはまったく、如来の願船、阿弥陀如来のお力だと
 おっしゃっています。

 阿弥陀如来のお力で、小慈小悲もなき極悪人と知らされ、
そんな自分が極善無上の幸福に救われた時、このご恩返しは
身を粉にしても骨砕きても済まぬと、猛進せずにおれなくなるのです。

 無上仏の大願業力によって動かされるのです。

だからこそ龍樹菩薩は、たとえ、
その生涯を異教徒の迫害の中に終わるとも、
 敢然と大乗無上の法を宣説されたのです。

 龍樹菩薩の大活躍がなければ、親鸞は救われなかった。
この師教の洪恩、どうして忘れることができようぞ。

”大乗無上の法を宣説された”

龍樹菩薩を、親鸞聖人はほめたたえておられるのです。
 
自利利他の権化
龍樹菩薩が破邪顕正の一生を送られたように、
 親鸞聖人もまた、自利利他の権化でありました。

 聖人34歳といえば法然上人のお弟子であった時です。
大乗無上の法、弥陀の本願を明らかにするため、
 法友と三度にわたって大論争をなさっています。

 三大諍論のいずれも、親鸞聖人が法友の誤りを黙認されていたら、
 起きなかったのです。
恨まれようと、そしられようと、阿弥陀如来の正しい御心を
明らかにしなければ、全人類が救われる唯一の道が閉ざされて
 しまうではありませんか。どうして黙っておれましょう。

 
十方にひとしくひろむべし
 この精神を忘れ、がりがりの声聞根性に陥る時、
 仏教は急坂を転がり落ちるように衰退するのです。

いくら素晴らしい教えがあっても、宣伝しなければだれも
分かりません。

”大乗無上の法を宣説された龍樹菩薩に我々も続こう。十方に
 ひとしくひろめようではないか”

親鸞聖人の熱い御心が伝わってきます。

証歓喜地生安楽 顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽

証歓喜地生安楽  (歓喜地を証して安楽に生ぜんと) 
顕示難行陸路苦  (難行の陸路の苦しきことを顕示し) 
信楽易行水道楽  (易行の水道の楽しきことを
信楽せしめたまう) 

目次
•釈尊に次ぐ聖者、龍樹菩薩
•なぜさとりを求めるか
•達磨や智者でも
•歓喜地を証して安楽に生ぜん
•難行道と易行道 ~仏教に二つあり~
•親鸞聖人のお喜び


歓喜地を証して安楽に生ぜん (正信偈)


 
釈尊に次ぐ聖者、龍樹菩薩
「歓喜地」とは、さとりの名前です。

 一口にさとりといいましても、さとりの境地には52の段階があり、
これをさとりの52位といわれます。

ちょうど相撲取りでも、下は序の口、序二段から、
 上は大関、横綱まで
色々あるようなものです。

さとりにもそれぞれ名前がつけられており、
 1段目を初信、
 2段目を二信、三信、四信と続き、
 10段目を十信と言われます。

 20段目を十住
 30段目を十行、
 40段目を十回向、
 50段目を十地、
 51段目を等覚といい、
 52段目が妙覚、
すなわち仏覚です。

さとりの最高位ですから無上覚ともいわれます。

ここまでさとった人は、地球上では、釈尊以外にはありませんから、
「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」といわれます。

その釈尊に次ぐ高いさとりを開かれた方が、龍樹菩薩です。

 厳しい仏道修行に打ち込み
龍樹菩薩は、41段目、初地のさとりに到達されました。
ここまでさとると、初めて躍り上がる歓喜が
 わきおこりますから、歓喜地ともいわれます。

 
なぜさとりを求めるか
~仏教の目的は後生の一大事の解決にあり~

さとりとは、大宇宙最高の真理をさとることです。

真理といいましても、1+1=2といった、数学的真理、
 水は高きより低きに流れる科学的真理などありますが、

仏教でいわれる真理は、苦しみ悩みを解決し、
 本当の幸福になれる真理のことです。

「人生は苦なり」
と釈尊が喝破なされたように、科学や医学は長足の進歩を遂げましたが、
 人間の苦悩は少しも減ってはいません。

「有ればあるで苦しみ、無ければ無いで苦しむ」
の仏語の通り、物や金の有無に関係なく、人々は苦しんでいます。

しかも皆、その解決の糸口さえ見つからないまま、
 最もいみきらう、死へ向かっているのです。

 死後や後生と聞くと、三十年も五十年も先のことのように思ったり、
 自分と関係ないことのように思う人がありますが、とんでもない
考え違いです。

 吸った息が吐き出せない時、吐いた息が吸えなかった時が、もうその人の
後生ではありませんか。

ですから、一息一息が、取り返しのつかない価値を持ち、吸う息、吐く息が
後生と密着しているのです。
こんな切り詰めた現実問題はありません。


「後の世と聞けば遠きに似たれども
 知らずや今日もその日なるらん」


の古歌の通りです。
ところが迷いの深い私たちは、この厳粛な事実を忘れて、
 名誉をおって走り、
 財産を得ようとして争い、
 愛欲におぼれて喜び、
 酒に飲まれて騒いでいます。

あてにならぬシャボン玉のような楽しみに希望をつなぎ、執着して、
 罪悪を積み重ねています。妻子や財産といった不安なものを
信頼しきっています。
そして足下に迫る業火に気がつかないのです。
こんな危ないことがあるでしょうか。
しかも仏は、


苦より苦に入り 冥より冥に入る(大無量寿経)


と説かれています。

この世の苦から未来の苦へ、
 何のために生きているのか分からぬ暗い人生から、
まっくらな後生へと飛び込んでいかねばならぬ
一大事があると警鐘乱打なされています。

これを仏教で後生の一大事といわれます。

古来、高僧たちが妻子や財宝一切を捨てて、
 入山学道しているのも、この一大事に驚き、その解決のために
 さとりを求めてのことなのです。
 
 
達磨や智者でも
達磨人形のモデルとなった達磨大師は、インドに生まれ、
 晩年中国へ渡り、禅宗の祖となりました。
面壁九年の熾烈な修行の為に、手足が腐り、切断したといわれます。

ところが、その達磨のさとりも30段程度といわれています。

また、中国天台宗を開いた智者は臨終、弟子に、
 「師はいずれの位までさとられたのか」
と問われ、
 「ただ五品弟子位あるのみ」
と告白しています。
 一宗一派を開いた彼でも、十段に至らなかったのです。

さとりは一段違ってさえ、人間と犬猫以上に境界に差があるといわれます。

41段目の歓喜地に到達された龍樹菩薩が、いかに抜群の方で
 あったか、お分かりだと思います。

 
歓喜地を証して安楽に生ぜん
ところが、歓喜地を証された龍樹菩薩でしたが、
いまだ魂の解決はなりませんでした。
どこかに真に救われる教えはないのか。

 必死に探し求めた龍樹菩薩はついに、無上の法、
阿弥陀如来の本願にめぐりあったのです。

そして弥陀の本願力によって、
いつ死んでも安楽国(弥陀の浄土)へ生ずる、
絶対の幸福の身に救い摂られたのでした。

これはさとりの52位中、51段目の等正覚に相当し、
 必ず仏覚を開くことに定まった正定聚の位です。

ここに、絶対の弥陀の救済にあわれた龍樹菩薩の、大乗無上の法を
宣説する大活躍が始まったのです。

 
難行道と易行道 ~仏教に二つあり~

「顕示難行陸路苦・信楽易行水道楽」(正信偈)

 (難行の陸路の苦しきことを顕示し、
 易行の水道の楽しきことを信楽せしめたもう)

龍樹菩薩は、仏教に二つあると教えられました。

「難行道」の仏教と
「易行道」の仏教です。

難行道とは、自力修行でさとり求める仏教のことで、
 千里の遠きを訪ねるのに、陸路を歩むようなもの。

 「難行の陸路の苦しきこと」とは、
 「難行」とは難行道の仏教です。
どこかへ行こうとした時、昔は車も電車もありませんから、
 陸の道、丘の上をてくてく歩いて行くのは、
 山あり谷あり、辛く苦しい旅となります。

 雨の日もあれば、雪の日もあれば、風の日もあります。
そこを重い荷物を背負って旅するのは、非常に苦しいことです。

 難行道の仏教を、龍樹菩薩は、
ちょうど陸路を旅するように非常に苦しいと、
 顕らかに教えられました。

 「顕示し」とは、顕らかに教えられたということです。

それに対して「易行」とは、易行道の仏教で、
 阿弥陀如来の本願力によって救われる教えです。
 「易行の水道の楽しきこと」とは、 水上を船に乗っていく旅は
 どんなに重い荷物があっても、
 船頭まかせで快適なことにたとえられています。

では二つの教えを、釈尊が説かれたのはなぜでしょうか。
 龍樹菩薩は、
難行道の仏教は「丈夫志幹」の者に、
易行道の仏教は「獰弱怯劣」の者のために
説かれたのだとおっしゃっています。

「丈夫志幹」とは、智慧すぐれ、意思の強固な人のことです。
 「獰弱怯劣」とは、悪くて弱くて卑怯で劣った者という意味です。

では龍樹様、あなたはどちらですかとお尋ねすると、
自分は獰弱怯劣の者だから、易行道でなければ助からなかった、
と告白されています。

 初めは難行の道を求め、歓喜地までさとられた龍樹菩薩でしたが、
 本当の自己の姿を照らし出された時、獰弱怯劣と懺悔され、
弥陀の本願によらねば救われなかったとおっしゃっています。

あらゆる宗派の人々から尊敬される、
八宗の祖師・龍樹菩薩にしてそうでした。
どこに煩悩と闘い、戒律を守り、自力修行でさとりを
成就できる人があるでしょうか。

 
親鸞聖人のお喜び
「それなのに親鸞は、難行道の『法華経』に二十年間も迷っていた」


 難行の陸路の苦しきことを顕示し、
  易行の大道の楽しきことを信楽せしめたまう(正信偈)


「自力でさとりを求める難行道では助からないぞ。
 早く易行道の弥陀の本願を信じよ。
 龍樹菩薩が、難易二道を開顕してくださっていたなればこそ、
 親鸞救われたのだ。このご恩、どうして忘れることができようか」
あふれる喜びとともに聖人は、龍樹菩薩をほめたたえておられるのです。

憶念弥陀仏本願 自然即時入必定

憶念弥陀仏本願  (弥陀仏の本願を憶念すれば) 
自然即時入必定  (自然に即の時必定に入る)

目次
•弥陀仏の本願とは?
•憶念とは?
•いつとはなしに憶念される?
•一念とは?
 
弥陀仏の本願とは?

ここは、親鸞聖人が、尊敬する七高僧の第一、
インドの龍樹菩薩のお言葉を引用されて
教えられているところです。

「弥陀仏の本願を憶念すれば」とは
「弥陀仏の本願」とは、
 阿弥陀仏の本願のことです。
 大宇宙に数え切れないほどまします仏方の
本師本仏の阿弥陀仏の本願のことです。

「本願」とは「誓願」とも言われるように
 お約束のことです。

では、阿弥陀仏はどんなお約束を
 なさっておられるのかと言いますと
「どんな人をも 必ず一念で助ける 絶対の幸福に」
  と誓われています。
その阿弥陀仏の本願を
「弥陀仏の本願」と言われています。
 
憶念とは?

次に「憶念」とは、
 「憶」もおもう
「念」もおもう
 という字です。

ですが「憶」のおもうというのは、時々思う。
 「念」は「明記不忘」というおもい方です。
 「明記」とは、手帳にハッキリ書くように、
 明らかに記すということです。

ということは、いつも、間断なく、
 途切れない、忘れない、
そういうおもい方が「明記不忘」です。
 忘れるということがない心が「念」ですね。

阿弥陀仏の本願、まことであった、
ということがハッキリと心に徹底します。
 心に記されるということです。
そして、それはどんなことがあっても、
その心は途切れることなく続く、ということです。

ところが煩悩の雲があって、
 心をかくすわけですが、
 明記不忘とハッキリした、
 救われた心があります。

その上に煩悩の雲や霧がありますが、
 念は途切れることなくハッキリしています。

    憶
~~~~~↑~~~~↑~~~~~

    念


ところが、縁がありますと、
 雲の間から思い出されます。
これが、憶の心です。
 時々おもうということです。

時々思えてくるということがあるのは、
 明記不忘の絶えず途切れず、
 救われたことがハッキリしてないと
 この憶が出てきません。
 念から憶が出てきます。

それはちょうど、地下へ掘って行くと、
 地下何百メートルに、地下水が流れています。
 絶えず流れていますが、地上の人は見えません。
ところが掘っていくと、地下水が噴き出してきます。
それで、地上の人も見えます。

それは、地下水があって初めて出てきます。
この地下水があるところまで掘った時、
 地上に噴き上がってくるのです。

地上に噴き上がっているものは、
 所々からです。

 Y  Y  Y   地上
  │  │  │
 │  │  │
 │  │  │
 │  │  │
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 地下水


地下水は常に流れていて、
とぎれとぎれではありません。
 絶えず一貫して流れています。

地上にあらわれるのは、ところどころです。

地上にあらわれるのは、時々おもう「憶」です。
 後は世間事ばかりに迷わされています。

ですが、時々救われたことが思い出されてきます。
それは阿弥陀仏に救われた
明記不忘の「念」の心が腹底にあるからです。

どんなに欲をおこして狙っている時でも、
 腹を立てている時でも、
ずーっと続いているんですが、
それが「念」です。

「憶念」の心になるのが、
 阿弥陀仏の本願まことであった
 とハッキリした時です。

阿弥陀仏に救い摂られないと、
 憶念の心にはなりません。

ですから、ここで龍樹菩薩が言われている
憶念とは、阿弥陀仏に救い摂られたことです。


阿弥陀仏の本願まことであった、
と知らされたというのが憶念の意味です。

では、仏教を聞いていると、やがていつとはなしに
阿弥陀仏の本願が憶念されてくるのでしょうか?
 
いつとはなしに憶念される?

次に親鸞聖人は
「自然に即の時必定に入る」
と教えられています。

これを「しぜんに必定に入る」
 「いつとはなしに御信心は頂ける」
と解釈している人がありますが、
そうではありません。

まず「自然」というのは、
 世間では「しぜん」と読みますが、
 仏教では「じねん」と読みます。

自然科学の自然とは意味が違って
親鸞聖人が使われた時には
「阿弥陀仏のお力」「他力」という意味です。

次に「即の時」とあります。
 即の時は、「いつとはなし」でも「だんだん」でもなく、
 一念ということです。
 
一念とは?

「一念」とは、親鸞聖人が

「一念」とは、これ信楽開発の、時尅の極促をあらわす(教行信証)

と教えられていますように、
 絶対の幸福に救われる、
 何億分の一秒よりも速い時を言います。

次の「必定」とは、
 正定聚(いつ死んでも仏になれるに定まった位)のことで、
 絶対の幸福のことです。

蓮如上人はこれを、


「一念発起・入正定之聚」とも釈し(御文章)

と教えられています。

阿弥陀仏は
「どんな人をも 必ず一念で助ける 絶対の幸福に」
とお約束しておられますから、一念です。

このように
「弥陀仏の本願念仏を憶念すれば、自然に即の時必定に入る」
とは、親鸞聖人が、
 「阿弥陀仏の本願を信ずれば、
まったく阿弥陀仏のお力によって一念で絶対の幸福になれる」
と教えられたお言葉です。

唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩

唯能常称如来号  (唯能く常に如来の号を称して) 
応報大悲弘誓恩  (大悲弘誓の恩を報ず応し)

目次
•念仏称えるのは何のため?
•ただ念仏さえ称えていればいいの?
•寝ても覚めても念仏申す心とは?
•親鸞聖人・蓮如上人のなされたこと
 
念仏称えるのは何のため?

この前の二行の
「弥陀仏の本願念仏を憶念すれば、自然に即の時必定に入る」
とは、親鸞聖人が、
 「阿弥陀仏の本願を信ずれば、
まったく阿弥陀仏のお力によって一念で絶対の幸福になれる」
と教えられたお言葉です。

では、念仏は何のために称えるのでしょうか?

ここで親鸞聖人は、
 「唯能く常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ず応し」
と教えられています。

「唯」とは、ただ一つ、
 「能く」とは、阿弥陀仏のお力、他力のことです。
 「如来の号」は阿弥陀如来の御名、名号ということで
南無阿弥陀仏の念仏のことです。
 「称して」は、となえて。

「大悲弘誓の恩を報ず応し」というのは、
 「大悲」とは大慈悲心、
 「弘誓」とは阿弥陀仏の本願のことですから、
 一念で阿弥陀仏に救い摂られたならば
 ただよく常に念仏を称えて、阿弥陀仏のご恩に報いなさい、
 阿弥陀仏に救われたならば
救って下された阿弥陀仏のご恩返しに、念仏を称えなさい、
ということです。

念仏は助けてもらう為に称える念仏ではなく、
 助けて頂いたご恩に対するお礼ということです。

これを蓮如上人は、

その上の称名念仏は如来わが往生を定めたまいし
御恩報尽の念仏と心得べきなり。(御文章「聖人一流」)

かくの如く決定しての上には、
 寝ても覚めても命のあらんかぎりは、
 称名念仏すべきものなり(御文章5帖「末代無智」)

と言われています。

ではこれは、
 「ただ念仏さえ称えていれば、それだけでいいんだよ」
ということでしょうか?
 

ただ念仏さえ称えていればいいの?
確かに「唯能く常に如来の号を称して」の
「唯」は、ただ一つということですから、
ただ念仏ばかり称えて、ご恩に報いればいい、
そう思う人があるのですが、それでいいのでしょうか?

もしそうだとすれば、
 親鸞聖人の29才から90才までの61年間の布教活動も、
 蓮如上人が一代で真宗を再興された布教活動も説明がつきません。

「人に仏教を伝えるなんて自分にはとてもできない、
ただ山の中に入って一人で念仏称えていればいいんだ」
というのは、蓮如上人が
「信心決定しての上には、寝ても覚めても念仏申すべきものなり」
とおっしゃっている、
寝ても覚めても念仏称えずにおれない心が
分かっていないのです。

「寝ても覚めても」というのは「憶念」ですから、
もとをただせば、弥陀の本願を憶念して、
 即時に必定に入った心が分からないのです。

念仏称えるのは私の口ですが、
 「唯能く常に如来の号を称して」の
「能く」というのは阿弥陀仏のお力、他力ですから、
 阿弥陀仏のお力によって称えさせられる念仏です。

ということは、
 救われたら念仏さえ称えていればそれでよい
 ということではありません。

では、寝ても覚めても念仏称えずにおれない心とは
 どんな心なのでしょうか?
 
寝ても覚めても念仏申す心とは?

寝ても覚めても念仏称えずにおれない心といいますのは、
 親鸞聖人61年間の布教活動です。
それは、常に御恩報謝の念仏称えずにおれない心の
 あらわれなのです。

それを言葉にあらわされたのが、善導大師の

自信教人信 │ 自ら信じ人に教えて信ぜしめることは
難中転更難 │ 難きが中に転た更に難し
大悲伝普化 │ 大悲を伝えて普く化す
真成報仏恩 │ 真に仏恩を報ずるに成る

というお言葉です。

自分が阿弥陀仏に救われることは難しい。
 人に教えて弥陀の救いまで導くことはもっと難しい。
 世の中に難しいことは色々ありますが、
これ以上難しいことはない。

しかし、難しいということは、
それだけ素晴らしいということだ。
 最も難しいということは、
 最もすばらしいことなのだ。

「大悲を伝えて、普く化する」
 阿弥陀仏の救いをみなさんにお伝えする、
 仏教を伝えるということは、
 「まことに仏恩を報ずるに成る」
 「まことに」とは、これ以上仏恩報謝になることはない。
 一番の仏恩報謝になるということです。

親鸞聖人は

他力の信をえんひとは
 仏恩報ぜんためにとて
 如来二種の廻向を
 十方にひとしくひろむべし(親鸞聖人『正像末和讃』)

と教えられています。
 「如来二種の廻向」以外に阿弥陀仏の本願はありませんし、
 仏教は如来二種の廻向を教えられたものですから、
 阿弥陀仏のご恩に報いるためには、
 弥陀の本願をすべての人に伝えなさい
 ということです。

そして、親鸞聖人のあのようなたくましい
61年間の生きざまになったのです。
 
親鸞聖人・蓮如上人のなされたこと

もし親鸞聖人が、一室に閉じこもられて
念仏ばかり称えておられたら、
 剣をかざして殺しに来た弁円に
数珠一連持たれて対峙されることもなければ、
 雪をしとねに石を枕に休まれての
日野左衛門の済度もありませんでした。


三大諍論もなければ、教行信証も書かれず、
 親鸞聖人の教えは、私たちに
縁がなかったことになります。

蓮如上人が御文章の至る所に書かれている
寝ても覚めても念仏申す心が、
いかに凄まじい布教活動であったか。
 独り静かに念仏ばかりの蓮如上人に、
あの真宗再興などありえなかったのです。

「唯能く常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ず応し」
とは、決して念仏さえ称えていればそれでよい
 ということではありません。

「大悲を伝える以上の、仏恩報謝はない」
と善導大師は教えられています。

寝ても覚めても念仏称えずにおれない、
その心をよく知って、
 私たちも少しでもご恩に報わせて頂けるよう、
ご縁のある人に本当の仏法を伝えさせて頂きましょう。

唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩

唯能常称如来号  (唯能く常に如来の号を称して) 
応報大悲弘誓恩  (大悲弘誓の恩を報ず応し)

目次
•念仏称えるのは何のため?
•ただ念仏さえ称えていればいいの?
•寝ても覚めても念仏申す心とは?
•親鸞聖人・蓮如上人のなされたこと
 
念仏称えるのは何のため?

この前の二行の
「弥陀仏の本願念仏を憶念すれば、自然に即の時必定に入る」
とは、親鸞聖人が、
 「阿弥陀仏の本願を信ずれば、
まったく阿弥陀仏のお力によって一念で絶対の幸福になれる」
と教えられたお言葉です。

では、念仏は何のために称えるのでしょうか?

ここで親鸞聖人は、
 「唯能く常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ず応し」
と教えられています。

「唯」とは、ただ一つ、
 「能く」とは、阿弥陀仏のお力、他力のことです。
 「如来の号」は阿弥陀如来の御名、名号ということで
南無阿弥陀仏の念仏のことです。
 「称して」は、となえて。

「大悲弘誓の恩を報ず応し」というのは、
 「大悲」とは大慈悲心、
 「弘誓」とは阿弥陀仏の本願のことですから、
 一念で阿弥陀仏に救い摂られたならば
 ただよく常に念仏を称えて、阿弥陀仏のご恩に報いなさい、
 阿弥陀仏に救われたならば
救って下された阿弥陀仏のご恩返しに、念仏を称えなさい、
ということです。

念仏は助けてもらう為に称える念仏ではなく、
 助けて頂いたご恩に対するお礼ということです。

これを蓮如上人は、

その上の称名念仏は如来わが往生を定めたまいし
御恩報尽の念仏と心得べきなり。(御文章「聖人一流」)

かくの如く決定しての上には、
 寝ても覚めても命のあらんかぎりは、
 称名念仏すべきものなり(御文章5帖「末代無智」)

と言われています。

ではこれは、
 「ただ念仏さえ称えていれば、それだけでいいんだよ」
ということでしょうか?
 

ただ念仏さえ称えていればいいの?
確かに「唯能く常に如来の号を称して」の
「唯」は、ただ一つということですから、
ただ念仏ばかり称えて、ご恩に報いればいい、
そう思う人があるのですが、それでいいのでしょうか?

もしそうだとすれば、
 親鸞聖人の29才から90才までの61年間の布教活動も、
 蓮如上人が一代で真宗を再興された布教活動も説明がつきません。

「人に仏教を伝えるなんて自分にはとてもできない、
ただ山の中に入って一人で念仏称えていればいいんだ」
というのは、蓮如上人が
「信心決定しての上には、寝ても覚めても念仏申すべきものなり」
とおっしゃっている、
寝ても覚めても念仏称えずにおれない心が
分かっていないのです。

「寝ても覚めても」というのは「憶念」ですから、
もとをただせば、弥陀の本願を憶念して、
 即時に必定に入った心が分からないのです。

念仏称えるのは私の口ですが、
 「唯能く常に如来の号を称して」の
「能く」というのは阿弥陀仏のお力、他力ですから、
 阿弥陀仏のお力によって称えさせられる念仏です。

ということは、
 救われたら念仏さえ称えていればそれでよい
 ということではありません。

では、寝ても覚めても念仏称えずにおれない心とは
 どんな心なのでしょうか?
 
寝ても覚めても念仏申す心とは?

寝ても覚めても念仏称えずにおれない心といいますのは、
 親鸞聖人61年間の布教活動です。
それは、常に御恩報謝の念仏称えずにおれない心の
 あらわれなのです。

それを言葉にあらわされたのが、善導大師の

自信教人信 │ 自ら信じ人に教えて信ぜしめることは
難中転更難 │ 難きが中に転た更に難し
大悲伝普化 │ 大悲を伝えて普く化す
真成報仏恩 │ 真に仏恩を報ずるに成る

というお言葉です。

自分が阿弥陀仏に救われることは難しい。
 人に教えて弥陀の救いまで導くことはもっと難しい。
 世の中に難しいことは色々ありますが、
これ以上難しいことはない。

しかし、難しいということは、
それだけ素晴らしいということだ。
 最も難しいということは、
 最もすばらしいことなのだ。

「大悲を伝えて、普く化する」
 阿弥陀仏の救いをみなさんにお伝えする、
 仏教を伝えるということは、
 「まことに仏恩を報ずるに成る」
 「まことに」とは、これ以上仏恩報謝になることはない。
 一番の仏恩報謝になるということです。

親鸞聖人は

他力の信をえんひとは
 仏恩報ぜんためにとて
 如来二種の廻向を
 十方にひとしくひろむべし(親鸞聖人『正像末和讃』)

と教えられています。
 「如来二種の廻向」以外に阿弥陀仏の本願はありませんし、
 仏教は如来二種の廻向を教えられたものですから、
 阿弥陀仏のご恩に報いるためには、
 弥陀の本願をすべての人に伝えなさい
 ということです。

そして、親鸞聖人のあのようなたくましい
61年間の生きざまになったのです。
 
親鸞聖人・蓮如上人のなされたこと

もし親鸞聖人が、一室に閉じこもられて
念仏ばかり称えておられたら、
 剣をかざして殺しに来た弁円に
数珠一連持たれて対峙されることもなければ、
 雪をしとねに石を枕に休まれての
日野左衛門の済度もありませんでした。


三大諍論もなければ、教行信証も書かれず、
 親鸞聖人の教えは、私たちに
縁がなかったことになります。

蓮如上人が御文章の至る所に書かれている
寝ても覚めても念仏申す心が、
いかに凄まじい布教活動であったか。
 独り静かに念仏ばかりの蓮如上人に、
あの真宗再興などありえなかったのです。

「唯能く常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ず応し」
とは、決して念仏さえ称えていればそれでよい
 ということではありません。

「大悲を伝える以上の、仏恩報謝はない」
と善導大師は教えられています。

寝ても覚めても念仏称えずにおれない、
その心をよく知って、
 私たちも少しでもご恩に報わせて頂けるよう、
ご縁のある人に本当の仏法を伝えさせて頂きましょう。

天親菩薩造論説 帰命無碍光如来

天親菩薩造論説  (天親菩薩は論を造りて説かく) 
帰命無碍光如来  (「無礙光如来に帰命し
   たてまつる」と)

目次
•親鸞聖人の尊敬
•天親菩薩の聞法のきっかけは?
•天親菩薩のなされたこと
•無礙光如来とは?
 
親鸞聖人の尊敬

これは「天親菩薩は論を造りて説かく、
 「無礙光如来に帰命したてまつる」と。
 修多羅に依りて真実を顕し」と読みます。

親鸞聖人が、
 「天親菩薩がおられたなればこそ、親鸞、阿弥陀仏に救われた」
と天親菩薩を大変尊敬され、その御恩に感謝され、
 皆さんにも天親菩薩の教えられた事を聞いてもらいたい、
と紹介しておられるお言葉です。

天親菩薩は、お釈迦様が亡くなられて、
 約900年後にインドで活躍された方です。

親鸞聖人のお名前の「親」という字は、
 天親菩薩の「親」の字をもらっておられますので、
 親鸞聖人が、いかに天親菩薩を尊敬され、
しかも親しみをもっておられたかが分かります。

そんな天親菩薩ですが、
 最初から立派な方だったのでしょうか?
 
天親菩薩の聞法のきっかけは?

天親菩薩のお兄さんの、無著菩薩は、
 初めから仏縁深く、仏法一筋に生きていたのですが、
 弟の天親は、そうではありませんでした。

頭は良かったのですが、
 最初は聞き誤って伝えられた小乗仏教に迷ってしまい、
 正しく伝えられた大乗仏教を謗り、
 謗法罪を重ねていました。

お兄さんの無著は、とても弟思いだったので、
 弟の天親を心配して、事あるごとに、
お前も本当の仏教を聞いてみろ、
お前の思っているのと全然違うから、
と誘います。

お兄さんは、何とか弟を助けてやりたいと思ったのですが、
あまりにしつこく言うので、
とうとう天親は、家を出ていってしまいました。

無著菩薩が、人に頼んで探してもらったところ、
ある町にいることがわかりました。

どうしたら弟が真実聞いてくれるか、
 色々と考えて、
 無著菩薩は手紙を書くことにしました。

「私は、体を悪くして、
 医者は、今日か明日か、と言っている。
 今生の最後に、どうか一目顔を見せてくれ」

さすがの天親も驚いて、お兄さんに会いに戻ってきます。

ところが家に帰ると、何と、
 無著菩薩が大きな声で説法をしていました。

天親は、
 「お兄さん、うそをついたな。
 本当の仏法を聞いている者が
 うそをついてもいいのか」
みんなの前で、ののしりました。

ところが無著は
「うそではない。
  体は元気だが、心が病気なのだ。
  仏法を謗り続けるお前のことが心配でならないのだ」
そして、一対一で懇々と話しました。

すると、兄の思いが通じて、
 天親はがらりと変わったのです。
 「謗法罪がそんなに恐ろしい罪だとは知らなかった」
と泣き出して、包丁を持ち出し、舌を切ろうとしました。

無著が
「早まるでない」と言うと、
 天親は
「こんな恐ろしい謗法罪を作ったのはこの舌だ。
 舌を切ってお詫びするしかない」
と命を絶とうとしました。

無著は
「ばか者、そんなことでお前の罪は消えはしない。
お前がそんなに思うなら、
その舌で、まことの仏法を誉めたらよい」
 誉めるというのは、
 仏法を伝える、ということです。
 天親菩薩は、
 「よし、仏法をそしったこの舌で、今度は仏法を伝えるぞ」
と大乗仏教を求め、広め始めました。

そして、大変頭のよい方だったので、
 七高僧に数えられるまでになりました。

説法もすばらしく、
 本も多く書かれましたので、
 「千部の論主」とも言われます。

その天親菩薩は、どんなことをなされたのでしょうか?
 
天親菩薩のなされたこと

親鸞聖人は「天親菩薩論を造りて説かく」
 天親菩薩は、論を造って説かれた
 とおっしゃっています。

「論」とは、天親菩薩が書かれた浄土論のことです。
 天親菩薩が沢山書かれた本の中でも、
 最も有名な本が、浄土論です。

その浄土論に天親菩薩が書かれていることを、
 親鸞聖人は、ここで紹介されて
「帰命無碍光如来」
とおっしゃっています。

天親菩薩が、
 「私は無礙光如来に帰命しました」
とおっしゃっているお言葉です。

では、無礙光如来とはどなたのことでしょうか?
 
無礙光如来とは?

「無碍光如来」とは、阿弥陀如来のことです。
 阿弥陀如来とは、
 蓮如上人は御文章に


ここに阿弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なり。
                (蓮如上人『御文章』)
とハッキリ教えておられます。

「三世十方の諸仏」とは、
 大宇宙に数えられないくらいにまします
仏方の事をいいます。
 「本師本仏」とは先生という事ですから、
 阿弥陀如来は、大宇宙のすべての仏の先生ということです。

「帰命」とは、救われた、助けられたということです。

ですから、帰命無礙光如来とは、
 「この天親は、阿弥陀如来に救われました」
ということです。

天親菩薩の教えられた通り、
 親鸞聖人も正信偈の最初に
「帰命無量寿如来」
 親鸞は阿弥陀如来に救われました
 と喜んでおられます。

「この親鸞、天親菩薩のお導きがなければ、
 弥陀の本願に救われることはなかったであろう。
 天親菩薩のご恩を忘れることはできない。
 皆さんも天親菩薩の教えを聞いてもらいたい」
と書き記された、『正信偈』のお言葉です。

依修多羅顕真実 光闡横超大誓願

依修多羅顕真実  (修多羅に依りて真実を顕し)
光闡横超大誓願  (横超の大誓願を光闡する)

目次
•救われた体験といっても色々あるのでは?
•真実の救いの基準は?
•そして天親菩薩は?
•阿弥陀仏の本願とは?
 
救われた体験といっても色々あるのでは?

この前の行の「帰命無礙光如来」とは、
 天親菩薩が、『浄土論』に、
 「この天親は、阿弥陀如来に救われました」
と言われたのを、
 親鸞聖人が引用されたお言葉です。

これは、天親菩薩の体験ですが、
 世間にも、よく
「私は救われました、幸せになりました」
と色々な体験談を話す人があります。

しかし仏教では、
どんな体験も経典と合致しなければ
何の価値もありません。

教えに一致しなければ真実ではありませんし、
 本当に阿弥陀仏に救われた、とはいえませんから、
 真実の救いとは全く異なります。

ではどうすれば、真実の救いかどうか分かるのでしょうか?
 
真実の救いの基準は?

それで次に親鸞聖人は、
 「依修多羅顕真実」
 天親菩薩は
「修多羅」によりて、真実であることを明らかにされた
 とおっしゃっています。

「修多羅」とは、お釈迦様の一切経のことです。
お釈迦様が35才で仏という最高の悟りを開かれて
80才でお亡くなりになるまでの
45年間説かれた教えを仏教といいます。

そのお釈迦様が説かれた教えを
書き残されたものが一切経です。

その一切経を「修多羅」とも言われます。

「真実を顕わし」とは、
 真実を明らかにされたということですから、
 修多羅に依りて真実を顕しというのは、
 教えによって、真実の体験を明らかにされた
 ということです。

体験と言っても、色々ありますから
教えに合った体験かどうかが大切だということです。

天親菩薩は常に
教えを基準として真実を明らかにされたので、
 親鸞聖人はほめたたえておられるのです。

天親菩薩はそして、どうされたのでしょうか?
 
そして天親菩薩は

次に親鸞聖人がおっしゃっている、
 「光闡横超大誓願」とは、
横超の大誓願を光闡された
 ということです。

「光闡」とは、
 明らかに説き広めるということですから、
 天親菩薩は、横超の大誓願を
明らかに説き広められたという事です。

「横超の大誓願」とは、
 「横超」とは他力のことです。
 親鸞聖人は

「他力」と言うは如来の本願力なり。
 (親鸞聖人『教行信証』)

「仏教で『他力』とは、阿弥陀如来の本願力を言うのである」
と教えられていますように、
 他力といっても、他人の力や天地自然の力ではなく、
 阿弥陀仏の本願力だけを「他力」といいます。

「大誓願」とは、すばらしい誓いという事です。
この「大」は、小さいものに対して大きい
 ということではありません。
 素晴らしいということです。

「誓願」とは、誓い、約束ということで、
 阿弥陀仏の本願のことです。

では、阿弥陀仏の本願とはどんなお約束なのでしょうか?
 
阿弥陀仏の本願とは?

阿弥陀仏は、
 「我を信じよ、必ず一念で51段高飛びさせて
 正定聚の身にしてみせる。そしてわが浄土に生まれさせる」
というお約束をしておられます。

「正定聚」とは、
まさしく仏になるに定まった人たちということで、
 死んだら仏になるに定まった位です。

そんな正定聚に一念で高飛びさせてみせる
 というすごいお約束は、
 他の仏にはとてもできない約束ですから
「大誓願」とおっしゃっているのです。

天親菩薩はこのように、
 阿弥陀仏の本願に救われて、
 生涯、弥陀の本願一つを
明らかにされたということです。

その天親菩薩のご苦労があったなればこそ、
 親鸞、阿弥陀仏の本願に救われる事ができたのだと、
 天親菩薩の功績をたたえておられる
『正信偈』のお言葉です。

広由本願力廻向 為度群生彰一心

広由本願力廻向  (広く本願力の廻向に由りて、) 
為度群生彰一心  (群生を度せんが為に
一心を彰したまう。)

目次
•天親菩薩しかなしえなかった業績
•どうしてそんなことができたのか

これは親鸞聖人が、天親菩薩しかなしえなかった業績、
 天親菩薩のなされたお手柄をほめたたえておられるお言葉です。


 広由本願力廻向
 為度群生彰一心


 
天親菩薩しかなしえなかった業績

まず「為度群生彰一心」とは
「群生を度せんが為に一心を彰したもう」
と読みます。

「群生」とは、すべての人
 「度せんが為」とは、導く為ということです。

「一心を彰したもう」といいますのは、
 阿弥陀仏は、すべての人をどのように救うと
 お約束しておられるかといいますと、
 「至心の心にしてみせる」
 「信楽の心にしてみせる」
 「欲生我国の心にしてみせる」
 三つの心にしてみせると約束しておられます。
これを本願の三心といいます。


至心   ┐
信楽   │本願の三心
 欲生我国┘


それを天親菩薩は、
 「信楽という一心を本当は阿弥陀仏は約束しておられるのだ」
と一心を明らかにされたのです。

こんなすごいことは、天親菩薩でなければ
 できることではありません。
これは、天親菩薩が阿弥陀仏の本願力を与えて頂くことによって
 はじめてできたのです。
 
どうしてこんなことができたのか

それを親鸞聖人がおっしゃったのが、
 「広由本願力廻向」
 「広く本願力の廻向によりて」
ということです。


 広由本願力廻向


「本願力」とは、阿弥陀仏のお力のことです。
 「廻向」とは与えるということです。
 「広く本願力の廻向によりて」
とは、
 阿弥陀仏のお力を頂かれて、
はじめてそういうことができたんだ。
ということです。

阿弥陀仏が
『至心にしてみせる』
 『信楽にしてみせる』
 『欲生我国にしてみせる』
と三心を約束しておられるのを、
 「いや、阿弥陀仏は本当は一心を約束しておられるんだ」

このようなことは、お釈迦様でも言えることではありません。
こんなことは阿弥陀仏の本願力の廻向によらなければ、
とてもできることではないのです。

天親菩薩は、阿弥陀仏の本願力の廻向によりて
阿弥陀仏の御心を愚かな私たちが受けとりやすい
 ようにと、一心で教えて下されたのです。

これを親鸞聖人は、
「阿弥陀如来の御心を、このように誰にでも
分かりやすく明らかにすることは、
 天親菩薩ならではの大偉業であった。
そのおかげで親鸞は弥陀の御心を知らされ、
 信楽の身に救い摂られることができたのだ」

と広大なご恩を喜ばれているのが、
 広由本願力廻向 為度群生彰一心
の正信偈のお言葉です。

帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数 得至蓮華蔵世界 即証真如法性身

帰入功徳大宝海  (功徳の大宝海に帰入すれば、) 
必獲入大会衆数  (必ず大会衆の数に入ることを獲)
得至蓮華蔵世界  (蓮華蔵世界に至ることを得れば)
即証真如法性身  (即ち真如法性の身を証せしむ)

目次
•帰入功徳大宝海
•必獲入大会衆数
•得至蓮華蔵世界
•即証真如法性身


 帰入功徳大宝海
 必獲入大会衆数
 得至蓮華蔵世界
 即証真如法性身


 
帰入功徳大宝海

これは『功徳の大宝海に帰入すれば』と読みます。

「功徳の大宝海」とは
南無阿弥陀仏の六字の「名号」のことです。
  名号を阿弥陀仏から「頂く」ことを
仏教で「帰入」と言います。

私たちが名号六字を頂くと聞きますと、
ちょうど南無阿弥陀仏というぼたもちを
頂いて食べるように思います。

ところが本当は、私たちがぼたもちになって食べられる
 ようなものです。

一升ビンに太平洋の水を入れようとしても、
 毛頭できるはずがありません。
これを自力といいます。

功徳の大宝海に帰入ですから、
 一升びんを太平洋に入れるということです。
すると一升びんも海の水で一杯になって、
 太平洋と一つになってしまいます。
これが帰入です。

自力と他力は全く違います。

功徳に満ちた大海なんだ。
そこへ飛び込むんだ。
そして一体になります。

ではそのように、
 阿弥陀仏から名号を頂いたならば
 どうなるのでしょうか?
 
必獲入大会衆数

これは「必ず大会衆の数に入ることを獲」と読みます。

「大会衆」とは、正定聚(しょうじょうじゅ)のことです。
 「正定聚」とは、「聚」は人たちということですから、
 「正」しく、仏になるに「定」まった人たちを
「正定聚」といいます。
あと一段で仏というすばらしい世界に
生かされるということです。

しかも「必ず獲る」ですから、
 獲る人と獲ない人がいるのではありません。
 功徳の大宝海に帰入した人は、必ずです。

さらに「獲る」というのは、
 「この世で」獲ることを言います。
それに対して「死んでから」うるものは
親鸞聖人は次の「得」という漢字であらわされています。

では、「この世で」大会衆の数に入ることを獲た人は
 どうなるのでしょうか?
 
得至蓮華蔵世界

これは「蓮華蔵世界に至ることを得る」と読みます。

「獲」は、「この世でうる」ということでしたが、
 「得」は、「死後でうる」ということです。

では、死後で何を得るのかといいますと_
「蓮華蔵世界に至ることを得る」とおっしゃっています。
 「蓮華蔵世界」とは、
 「阿弥陀仏の極楽浄土」のことです。

この世で大会衆の数に入った人は、
 死ぬと同時に、阿弥陀仏の極楽浄土へ往くことができるのだよ、
と教えられています。

では、阿弥陀仏の極楽浄土へ往って、
どうなるのでしょうか?
 
即証真如法性身

これは「即ち真如法性の身を証せしむ」と読みます。

「即ち」といいますのは「ただちに」ということです。
 「真如法性の身」とは、
 「阿弥陀仏と同じ仏の身」ということです。

「即ち真如法性の身を証せしむ」とは
死ぬと同時に阿弥陀仏の極楽浄土へ往って、
ただちに阿弥陀仏と同じ仏の身に生まれさせて頂ける
 ことをいいます。

このように親鸞聖人の教えは
「この世」で獲るものと
「死後」で得るものと
2つ教えられています。

阿弥陀仏に救い摂られた人は
「大会衆の数に入ること」を獲て
「蓮華蔵世界に至ることを得て、即ち真如法性の身を証せしむ」
と、2つの救いが教えられています。

しかも、
 「この世で」大会衆の数に入った人だけが、
 「死後」蓮華蔵世界に至ることをえますので、
 親鸞聖人は、
 「この世で大会衆の数に入ること、
 功徳の大宝海に帰入することを急げよ」
と教えてゆかれました。

遊煩悩林現神通 入生死薗示応化

遊煩悩林現神通  (煩悩の林に遊びて神通を現じ) 
入生死薗示応化  (生死の薗に入りて応化を示す
 といえり)

目次
•極楽へ往ったら何するの?
•煩悩の林に遊んで……
•生死の薗に入りて応化を示す
 
極楽へ往ったら何するの?

正信偈のこの前の4行で、親鸞聖人は、
 「この世で阿弥陀仏に救われて、正定聚の身になった人は、
 死ぬと同時に阿弥陀仏の極楽浄土へ往けるのだよ」
と教えられています。

では、阿弥陀仏の極楽浄土へ往って、
 阿弥陀仏と同じ仏の証りを開かせて頂いたら
八功徳水の温泉につかって、
 百味の飲食たらふく食べて、
 応報の妙服を着て、
 「ああ、娑婆の者は、苦しんどるな」
と眺めていることができるのでしょうか?

もちろん、そんなことはとてもできません。

親鸞聖人は、阿弥陀仏の極楽浄土へ往ったら
 どうなるか、ここで教えられています。
 
煩悩の林に遊んで……

まず「煩悩の林」とは大衆のことです。
 親鸞聖人は、私たちを
「煩悩具足の凡夫」
と言われていますように、
 欲と怒りと愚痴によってできているのが
私たち人間です。

1人が108の煩悩でできていますから、
 10人集まれば1080
 100人集まれば10800
まさに煩悩のジャングルのようなものですので、
そんな人間の集まりを
「煩悩の林」と言われています。

次に「遊ぶ」というのは、
パチンコや麻雀で楽しむことはありません。
そんなものは、私たち人間の遊びであって、
 仏様の遊びではないのです。

では仏様のお遊びは何かといいますと、
 衆生済度です。
 「衆生」とは、すべての人たちですから、
この世で苦しんでいるすべての人を「済度」する。

苦しみ悩める大衆の中に飛び込んで
 それらの大衆を救うのが
浄土から帰って来られた方の遊びなのだ。


苦しんでいる人を見ると、
とてもじっとしてはおれない、
 何とか苦しみを抜いてやりたい、
そして本当の幸せに救ってやりたいと思われるのが、
 仏の慈悲なのです。

そして「神通を現じ」とは、
 自由自在に活躍する
思う存分、自由自在に衆生済度する
 ということです。
 
生死の薗に入りて応化を示す

次の「入生死薗示応化」は、
 生死の薗に入りて応化を示すといえり、
と読みます。

「生死の薗」というのも、
 「煩悩の林」というのも、
 同じ意味で、
 苦しみ悩む人たちのことです。

苦しみ悩む人たちの中に飛び込んで、
 「応化を示す」というのも、
 「神通を現じ」と同じことで
色々なすがたをして、色々なことをして、
 自由自在に衆生を済度することです。

煩悩の林 神通を現じ
 ‖     ‖
生死の薗 応化を示す


「応化」とは、相手に応じて化導する、導く、
ということですから、
 相手に応じて、
 子どもなら子ども、
 男なら男、女なら女、
 学問のある人なら学問のある人
その人に応じた仕方で済度する、
ということです。

このように、
煩悩の林に遊びて神通を現じ、
 生死の薗に入りて応化を示す、
というのは、
 極楽に往った人は、
 苦しんでいる人をじっとみていることなんてできない。
 再びこの娑婆世界に帰ってきて、
 苦しみ悩むすべての人を救う為に、
 自由自在に活躍するのだよ
 と教えられた親鸞聖人の正信偈のお言葉です。

本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦

本師曇鸞梁天子  (本師曇鸞は梁の天子) 
常向鸞処菩薩礼  (常に鸞の処に向いて
「菩薩」と礼したまえり。) 
三蔵流支授浄教  (三蔵流支、浄教を授けしかば) 
焚焼仙経帰楽邦  (仙経を焚焼して
楽邦に帰したまいき。)

目次
•曇鸞大師とは?
•梁の天子も。
•どうしてそんな偉い方になられたのか?
•菩提流支とばったり出会って……
 
曇鸞大師とは?

本師曇鸞梁天子
 常向鸞処菩薩礼
 三蔵流支授浄教
 焚焼仙経帰楽邦

これは、
「本師曇鸞は梁の天子、常に鸞の処に向いて「菩薩」と礼したまえり。
 三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき」
と読みます。

本師曇鸞とは、約1400年前、中国にあらわれた
曇鸞大師のことです。

親鸞聖人は、七高僧の3番目にあげられ、
 曇鸞大師に対する敬慕の気持ちは大変なものがあります。

まず、親鸞聖人の「親鸞」というお名前は、
 天親菩薩の「親」と、
 曇鸞大師の「鸞」をもらわれたものです。

2番目に、曇鸞大師を「本師」といわれていますが、
 「本師」と言われているのは、
 正信偈の中でもう一人、
 直接の先生である法然上人だけです。

また、親鸞聖人は沢山の和讃を作っておられますが、
七高僧の中では、曇鸞大師が一番多く、34首あります。

このように、親鸞聖人は、曇鸞大師を
大変尊敬しておられました。
 
梁の天子も。

次に、「梁の天子」とは、梁の蕭王のことです。
 親鸞聖人はご和讃に次のようにおっしゃっています。

本師曇鸞大師をば 粱の天子蕭王は
 おわせしかたにつねにむき 鸞菩薩とぞ礼しける


その梁の天子は、朝晩、曇鸞大師のおられる方角に向かって、礼拝した。

常向鸞処菩薩礼

「常に」とは、たまにではありません。常にです。
 「鸞」とは曇鸞大師です。

一国の王様が、朝晩、曇鸞大師の方角に向かって
本当は大師なのですが、ただ人ではない、
 菩薩だと手を合わせて拝まれた。

いかに曇鸞大師が偉い方であり、
 徳の高い方であったかということです。

しかし、それは阿弥陀仏に救われてからのことで、
 曇鸞大師も、最初から、そんな偉い方ではなかったのです。
 
どうしてそんな偉い方になられたのか?

曇鸞大師は、もともとどんな方であったのかというと、
 四論宗の学者でした。

四論宗とはどんな宗派かというと、
 七高僧の最初にあげられる龍樹菩薩の、
 中論、十二門論、大智度論などを宗とする宗派です。

その四論宗の学者であった
曇鸞大師は、あるとき病気になりました。

この病というのが、人を迷わせます。
 軽い病気ならそうでもないですが、
 重い病気になると、死んでしまうのではないかと不安になります。
そして藁にもすがる気持ちにさせるのです。

曇鸞大師は、
 「仏教を学んでいても、
 死んでしまったら終わりではないか
 まず長生きしなければならない」
と、不老長寿の教えを学ぼうと思い立ちます。

中国では、そういうことを教える人を
仙人といいます。
 曇鸞大師は、当時一番有名な陶隠居という仙人のもとへ弟子入りして
仏教を捨てて、三年間修行しました。
そして免許皆伝を受けて、
 10冊の仙経をもらって意気揚々と帰ってきます。

その時、仏教を学んでいた時の友達の、
菩提流支とばったり出会ったのです。
 
菩提流支とばったり出会って……

三蔵流支授浄教
 焚焼仙経帰楽邦

正信偈では、菩提流支のことを「三蔵流支」と書かれています。

本名は「菩提流支」なのに、
なぜ三蔵流支と書かれているのでしょうか。

「三蔵」とは、
 経、律、論の3つです。

経とは、お釈迦さまの教えを書き残されたもの。
律とは、お釈迦さまの説かれた戒律。
論とは、お釈迦さまのお言葉を
龍樹菩薩や天親菩薩などの菩薩が解釈されたものです。

これらを三蔵といいます。

ところが、これらはインドの言葉で書かれています。

お釈迦様は、インドの方ですから、
 経も律もインドの言葉で書かれています。
 龍樹菩薩、天親菩薩もインドの方ですから、
 論もインドの言葉で書かれています。

私たちが今読んでいるお経は、
 中国語に翻訳されたものです。
ですから、インドの言葉を中国の言葉に翻訳した、
翻訳者を「三蔵」といいます。

「三蔵」には、鳩摩羅什や康僧鎧、玄奘三蔵など、
 有名な人が沢山あります。
そんな翻訳者の一人で、
 菩提流支という人がありました。

曇鸞大師は、その菩提流支とばったりであって、
 「おい今すごいものを手に入れてきたぞ」
と仙経を得意になって見せました。

それを聞いた、菩提流支は、
 「お前は、仏教をそんな程度に思っていたのか。
 100年や200年長生きしても、
 最後は必ず死ぬではないか。」

「仏教に、そんな長生きする教えがあるのか?」
その時、菩提流支から手渡されたのが、
 「観無量寿経」でありました。

観無量寿経とは、無量寿を観る、
 無量寿になる教えということです。

これを正信偈には、
浄教を授けしかばとあります。
その時、曇鸞大師は、
「仏教にそんな教えがあったのか」
その場に崩れ落ちてしまいました。

そして、菩提流支の目の前で、
たった今もらってきた仙経10巻を
焼き捨てた、焚焼したと言われます。

そして、楽邦に帰する
「楽邦」とは、阿弥陀仏のことです。
 「楽邦に帰する」とは、 阿弥陀仏の救いにあったということです。

曇鸞大師がすごいのは、
 間違いだと分かるや、
 3年間もかけてもらってきた仙経をすぐに焼き捨てた
 なかなかできることではありません。

親鸞聖人もそうですが、
 誰でもそうやって導いて下された方が
 あったということです。

天親菩薩論註解
報土因果顕誓願
往還回向由他力

正定之因唯信心

正定之因唯信心  (正定の因は唯信心なり) 

目次
•「正定」とはどんな幸せ?
•念仏さえ称えたら「正定聚」になれる?
•では信心とは?
 
「正定」とはどんな幸せ?

「正定之因唯信心」は、
 正定の因は唯信心なりと読みます。

「正定」とは「正定聚」のことで、
 絶対の幸福のことを、仏教で正定聚といいます。
 「聚」は人たち、ということですので、
 「正定聚」は、正しく仏になるに定まった人たち
 ということです。
「仏」というのは、最高のさとりを言いますが、
 一口にさとりといいましても、
 低いさとりから高いさとりまで
全部で52の位があります。
これを「さとりの52位」といいます。

ちょうど相撲取りでも、下はふんどし担ぎから、
 上は大関、横綱までありますように、
さとりにも、ピンからキリまで、52の位があり、
それぞれ名前がついております。

その最高の位を「仏覚」といいます。
これ以上のさとりがありませんので、
 「無上覚」とも言われます。

親鸞聖人がここで「正定」と言われている
「正定聚」は、
  あと一段で仏という51段の位に相当します。

「正定聚」は、正しく仏になることに定まった人たち
 ですから、正定聚の身になった人は、
 死ぬと同時に必ず阿弥陀仏の極楽浄土へ往って、
 弥陀同体のさとりを開かせて頂くことが、
できるのです。

では、どうすれば、正定聚の身になれるのでしょうか?

次の「正定の因」が、
ではどうすれば正定聚の身になれるのか
 ということです。
 
念仏さえ称えたら「正定聚」になれる?

世間で浄土真宗といえば、
 一度でも念仏を称えれば、死んだら極楽へ往って仏になれるもの
 と思っている人がたくさんあります。

本当に、念仏さえ称えれば死んだら仏になれるのでしょうか?
それとも、何もいらず、どんな人でも死んだら極楽に往って、
 仏になれるのでしょうか?

親鸞聖人は、ここで、
 「正定の因は、唯信心なり」
と教えられています。

「唯」は、ただ一つ。
ただ信心なり、ですから、
 真実の信心以外に何もいらない、
 念仏もいらない、
 善もいらない、
ただ信心一つ、ということです。

これを「唯信独達」といいます。
 正定聚のたねは、ただ信心一つです。
ですから、浄土真宗の教えは
「信心正因」とも言われます。

では、信心とはどんなことなのでしょうか?
 
では信心とは?

「信心」といいましても
阿弥陀仏を疑わないように信じることでもなければ、
すでに救われていることに気づくとか、
 真実にうなづいてゆく、
といったものでもありません
「信心決定」のことです。
 本師本仏の阿弥陀仏の本願に
一念で救い摂られたことを
信心決定といいます。

このように、
 本師本仏の弥陀の本願に救われた一念で51段高飛びして、
あと一段で仏という正定聚の身になれるのだ
 とおっしゃっているのが
「正定の因はただ信心なり」
という正信偈のお言葉です。

本師本仏の阿弥陀仏の本願に救われる一つで
未来永遠の幸せの身になれるのだ、
 信心一つで正定聚になれるのだ、
ということです。

 惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃

惑染凡夫信心発  (惑染の凡夫、信心を発しぬれば) 
証知生死即涅槃  (生死即ち涅槃なりと証知せしむ) 

目次
•「惑染の凡夫、信心を発しぬれば」とは?
•「生死即ち涅槃なりと証知せしむ」とは?
•こころは浄土にあそぶなり
 
「惑染の凡夫、信心を発しぬれば」とは?

惑染凡夫信心発
 証知生死即涅槃

これは、
「惑染の凡夫、信心を発しぬれば、
  生死即ち涅槃なりと証知せしむ」
  と読みます。
 
「惑」とは、煩悩のことです。

世間では、
 買おうか買うまいか
結婚しようかしまいか、
という時に使います。

それも煩悩ですが、それだけでなく、
 欲や怒り、愚痴の煩悩のことを
仏教では「惑」と言います。

「染」とは、染まっている、一つであるということです。

ちょうど、火と炭のような関係です。
 炭に火がつくと、炭のまんまが真っ赤な火、
 火のまんまが炭になります。

ちょうどそのように、私から煩悩をとったら何も残りません。
これを煩悩具足の凡夫と言います。

「凡夫」とは、私たち人間のことです。
「具足」とは、それでできているということです。
 私たちは、煩悩に目鼻をつけたようなものですから
煩悩具足の凡夫といわれます。
これを「惑染の凡夫」とおっしゃっています。

「信心が発きれば」とは、
この世で阿弥陀仏に救われれば、ということです。

その、煩悩に染まった私たちが、阿弥陀仏に救われ、
 信心がおきればどうなるのでしょうか。
 
「生死即ち涅槃なりと証知せしむ」とは?

親鸞聖人は、この世で阿弥陀仏に救われれば
「生死即ち涅槃なりと証知せしむ」 とおっしゃっています。

「証知せしむ」とは、明らかに知らされる、
 体験できるということです。

「生死即涅槃」とは、
「生死」とは人間として生まれている時の
人生の渦巻く苦悩、絶えない苦しみ悩みを
生死と言われています。

煩悩に目鼻をつけたような 惑染の凡夫が、
 阿弥陀仏に救われれば、


それがそのまま涅槃になるということです。

「涅槃」とは、絶対の幸福のことです。
ですから、生死即涅槃は、
 死んでからではありません。

この世で阿弥陀仏に救われたことを言われているのです。
  
こころは浄土にあそぶなり

 このことを親鸞聖人は、御和讃に

 超世の悲願ききしより、
  われらは生死の凡夫かは
 有漏の穢身はかわらねど
 こころは浄土にあそぶなり

とおっしゃっています。
 
「有漏」とは、煩悩のことですから、
「惑染」と同じです。

「穢身」とは、汚れた体です。

阿弥陀仏に救われても
有漏の穢身は全くかわらない、
 煩悩に目鼻をつけた体は変わらないということです。
 
ところが、有漏の穢身はかわらねど、
 心は浄土にあそぶなり。

心は極楽いって遊んどるような明るい心だ。
ということは苦しみ悩みの人間と
浄土へいって遊んでいる心が、同時にあるのです。

「超世の悲願ききしより」とは、
 阿弥陀仏の本願に救われてから

「有漏の穢身」といったら、惑染の凡夫、
 煩悩具足の凡夫です。
 苦しみ悩んでいる人間は変わりないわけです。
だけど、心は浄土へいって遊んでいる。

それが「即」というこの一字は
 そういうことあらわしとているのですが、
とても想像できることではありませんから、
 阿弥陀仏に救われて知らされます。

全く同時、一体のものです。
 言葉では言い表せない、言葉を離れた世界です。

「惑染の凡夫、信心を発しぬれば、
 生死即ち涅槃なりと証知せしむ」
とは、
 煩悩に目鼻をつけた私たちが、
この世で阿弥陀仏に救われれば、
 人生の渦巻く苦悩のまま、
 心は浄土に遊んでいるように明るく愉快という、
 言葉を離れた世界を体験できるのだと
 おっしゃったお言葉です。

どんな人でも仏法を聞けば、
 必ずこの世で阿弥陀仏の救いにあうことができます。
そこまで仏教を聞いてください。

 必至無量光明土 諸有衆生皆普化

必至無量光明土  (必ず無量光明土に至れば) 
諸有衆生皆普化  (諸有の衆生、皆普く化す
 といえり。) 

目次
•必ず無量光明土に至ればとは?
•諸有の衆生、皆普く化すとは?
 
必ず無量光明土に至ればとは?

必至無量光明土
 諸有衆生皆普化

 これは
「必ず無量光明土に至れば、
 諸有の衆生、皆普く化す」といえり
 と読みます。

これは、親鸞聖人が尊敬される七高僧の3番目、
 曇鸞大師の教えをおっしゃっているお言葉です。

「無量光明土」とは、阿弥陀仏の極楽浄土のことです。

世間では、
 「阿弥陀仏に救われた人は」と聞くと、
死んでからだと思ういますが、そうではありません。

「必ず至る」とは、
この世で阿弥陀仏に救われた人は、
 必ず死んで極楽浄土へゆけるということです。
 
諸有の衆生、皆普く化すとは?

「諸有の衆生皆普く化す」 とは、
 「諸有」とは「あらゆる」ということです。

「衆生」とはすべての人、
 苦しみ悩むすべての人のことです。

「皆」とは一人残らず、
「化す」とは化導のことで、
 済度するとか、救う、助けるということです。

助けるとは、自分の力ではなく、阿弥陀仏の力ですが、
 無量光明土へいって、弥陀同体のさとりを開くのですから、
 救うことできるのです。

ですから、「普く化す」とは、すべて絶対の幸福に教え導くということです。

この世で阿弥陀仏に救い摂られ、
 死んで阿弥陀仏の極楽浄土へいっても、
 八功徳水の温泉につかって、百味の飲食たらふく食べて、
 応報の妙服を着て、のんびりしてはいられない。

まだ苦しみ悩んでいる人がいるのに、
 自分だけ阿弥陀仏に救われて、
じっとしてはおれないのです。

すぐさまこの世にかえってきて、
 娑婆界に還来して、
 苦しみ悩むすべての人が阿弥陀仏に救い摂られるまで、
 衆生済度せずにおれないといわれているのが、
『必至無量光明土 諸有衆生皆普化』ということです。

道綽決聖道難証 唯明浄土可通入

道綽決聖道難証  (道綽は聖道の証し難きことを決し) 
唯明浄土可通入  (唯浄土の通入す可きことを明す) 

目次
•道綽禅師とは?
•どんな仏教の宗派も究極的には同じ?
•仏教を2つに分けると?
•「聖道の証し難きことを決し」とは?
•では助かる道は?
 
道綽禅師とは?

これは
「道綽は聖道の証し難きことを決し、
  唯浄土の通入す可きことを明す」
と読みます。

「道綽」とは道綽禅師という方のことです。
 親鸞聖人は、お釈迦さまの説かれた仏教を
間違いなく伝えられたと、
 非常に尊敬しておられた方が
7人おられます。
これを七高僧と言われますが、
その4番目が道綽禅師です。

道綽禅師は、七高僧の3番目の
曇鸞大師が亡くなられてから少し後に
中国にあらわれられた方です。

最初、道綽禅師は、
お釈迦さまがお亡くなりになる直前に説かれた
『涅槃経』が
釈尊の一番教えたかったことだと信じて、
 涅槃宗という教えを勉強しておられました。

その道綽禅師が、たまたま
曇鸞大師がおられた玄忠寺へ訪ねられ、
 曇鸞大師の教えられたことを知られます。

そして、これは私も
曇鸞大師の教えに従わなかったらとうてい助からない
 と思われて、それを縁として、
 涅槃宗を捨てて、阿弥陀仏に帰依されるように
 なった方です。

曇鸞大師は『観無量寿経』によって
真実の仏法を知られたということで、
 道綽禅師も『観無量寿経』を
真剣に学ばれるようになりました。

そして、その『観無量寿経』を
道綽禅師が解釈されたのが、
 有名な『安楽集』という本です。

この『安楽集』の中に、
 道綽禅師が教えられたことを、
 親鸞聖人が正信偈のここに書かれたわけです。

この『安楽集』の中に、
 最も力を入れられて教えられている
大切なところは何かといいますと、
 「聖道の証し難きことを決し、
 唯浄土の通入す可きことを明らかにされた」
ということなのです。

これはどういうことなのでしょうか?
 
どんな仏教の宗派も究極的には同じ?

分けのぼる ふもとの道は異なれど 同じ高嶺の月を見るかな

という言葉がありますが、
 色々な宗教があるのは、
こういう道もあれば、
こういう道もある。
 道はそれぞれ違うけど、
 同じ山の頂上へいって、
 真如の月を見るのは同じだ。

同じ宇宙の真理を、
ある人は、神と言い、
ある人は、仏と言う。
キリスト教でもイスラム教でも、仏教でも、
 究極的には同じところにたどりつくのだ
 という宗教観を持っている人が、多くあります。

仏教でいえば、色々宗派が分かれていても、
 同じお釈迦さまが説かれたことだから、
 登る道が違うだけで、
 最後は同じ頂上へたどりつくのだという
仏教観を持っている人があります。

本当にそんなことが言えるのでしょうか?
 
仏教を2つに分けると?

仏教とは、お釈迦さまが
35歳の時に仏のさとりを開かれて、
 80歳でお亡くなりになるまで
45年間教えられたことを仏教と言います。
その教えのすべては、一切経に書き残されています。

この釈迦一代の教えを「小釈迦」と言われ、
 「八宗の祖師」と尊敬される
 インドの龍樹菩薩は、
 一切経を何回も読まれた結果、
お釈迦さまの説かれた仏教は、
 2つになると教えられています。

それが「難行道」と「易行道」の2つです

「難行道」とは、修行が非常に難しい教えです。
 「易行道」とは、行が非常に易しい教えです。

このように教えられたのが
龍樹菩薩です。

この道綽の先生の、中国の曇鸞大師も同じく、
 釈迦45年間の教えは2つになると、
 教えられています。

それは、
自力の仏教と
他力の仏教の2つです。

「自力」「他力」という言葉を
初めて使われたのは曇鸞大師です。

龍樹菩薩が難行道といわれた仏教を
曇鸞大師は、自力の仏教と言われ、
 龍樹菩薩が易行道といわれた仏教を、
 曇鸞大師は、他力の仏教と言われています。

それを道綽禅師は『安楽集』に、
やはり、龍樹菩薩や曇鸞大師と同じく、
お釈迦さまの教えられた仏教に2つある。
 1つは「聖道門仏教」
もう1つは「浄土門仏教」
と言われています。

龍樹菩薩・曇鸞大師が、
 難行道自力仏教といわれた仏教を
道綽禅師は聖道仏教と言われています。

龍樹菩薩・曇鸞大師が、
 易行道他力仏教といわれた仏教を、
 道綽禅師は、浄土仏教と言われています。

名前はそれぞれ違いますが、
 仏教にはこのように2つあるということは、
 龍樹菩薩も曇鸞大師も、道綽禅師も
共通して教えられています。

龍樹菩薩 曇鸞大師 道綽禅師
 難行道 … 自力 … 聖道門
 易行道 … 他力 … 浄土門


それで親鸞聖人も、
 正信偈に同じく教えられているのです。
 
「聖道の証し難きことを決し」とは?

「道綽は聖道の証し難きことを決し」
といわれている「聖道」とは、
 聖道仏教のことです。

「証し難き」とは,
さとりを開くことができない
 ということです。

正信偈の龍樹菩薩のところでも
教えられていましたように、
 龍樹のような方でも、
 「私はこの仏教ではとても助からない」
と言われています。

龍樹菩薩が、
 「難行道では行が難しくてとても助かるまで行ができない。
  易行道の仏教に入って助かった」
と告白されていますから、
 曇鸞大師も自力の仏教では助からないと言われています。

ですから道綽禅師も、
 聖道仏教では助からないと教えられています。

「難しい」と書いてあると、
 頑張れば何とかなるように思えるかもしれませんが、
そうではありません。

聖道門の仏教では、
さとることができない、助からない
 ということです。

このようにハッキリ断言されたということが
「決する」ということです。
 助からないぞと
 ハッキリ言い切られた、ということです。

もし頑張ってやれば何とかなれる人があるのなら、
そんな断言まではできません。

これからどんなすぐれた人が現れて来るか
分かりませんから、
これでは助からないのだと
決することはできないわけです。

ところが道綽は、ハッキリと
『安楽集』に言い切られています。

ですから聖道仏教では、
もう道は絶えているんだ、
そこから先はいけないんだ、
ということです。

仏教を山だとすると、
 龍樹菩薩も曇鸞大師も道綽禅師も
頂上へ行く道を2つに分けられて、
それは2つしかないんだ、というような教え方です。

そして普通なら、
 仏教なんだから、どちらの道でも頂上へ行ける
 と思うのですが、
 道綽禅師は、聖道仏教の道は、証し難きことを決す
 ハッキリ助からないと教えられています。
 難しいけれども、頑張れば何とか頂上へ行けるんだと
教えられているのではありません。
どれだけこの道を行っても頂上へ行けないんだと
言い切られているのです。

「決す」というのは、
 道綽禅師でなければ言えないし書けなかった、
さすがは道綽禅師だ、
と親鸞聖人は、尊敬しておられるのです。

仏教を2つに分けるのなら、
 龍樹菩薩も曇鸞大師も分けておられますが、
 道綽禅師は助からないのだとすぱっと言い切られた、
 決せられた。

このような所が道綽禅師のすばらしいところだと、
 親鸞聖人は尊敬してやまないのです。
 
では助かる道は?

次の「唯浄土の通入す可きことを明す」にも、
このような道綽禅師の教えは明らかです。

「唯」とはだ一つ。
 二つも三つもあるというのではありません。

こちらは難しい、
こちらは易しい、
ということなら、
 易しいか難しいかの違いだけで、
 頂上へ行く道は、2つあることになります。
ただ一つと言えません。

ところが、道綽禅師は、
 聖道仏教では助からないんだと言い切られた、
ということは、
 助かる道は、ただ一本しかないということです。

それが浄土仏教ですので、
ここでは「浄土」と言われています。

この仏教ただ一つなんだ。
 「通入」とは、通って入るということですから、
 極楽浄土へ往ける、ということで、
 助かるということです。

本当に救われる、
ただ一つの助かる道を明らかにされた。

聖道仏教では助からないと決せられ、
 本当に救われるたった一本の道を明らかにされた。

このように道綽禅師が教えられたので、
 親鸞聖人は、
これだけハッキリ教えて頂かなかったら、親鸞迷ったであろう。
このようにハッキリ教えてくだされなかったら
 どうしてハッキリ助かることができただろうか。

道綽禅師を七高僧の一人として尊敬されて、
その教えのすばらしさを
親鸞聖人は、まずここに教えられています。

万善自力貶勤修 円満徳号勧専称

万善自力貶勤修  (万善の自力、勤修を貶し) 
円満徳号勧専称  (円満の徳号、専称を勧む) 

目次
•私たちは善をする必要がないの?
•道綽禅師の教えられていることとは?
•仏教では善を勧めていいの?
•誤解が起きるポイント
•では念仏さえ称えていればいいの?
 
私たちは善をする必要がないの?

「万善自力貶勤修 円満徳号勧専称」は、
 「万善の自力、勤修を貶し、円満の徳号、専称を勧む」
と読みますが、
 親鸞聖人が七高僧の4番目にあげておられる、
 道綽禅師のお言葉です。
 「道綽禅師のお導きによって、親鸞、弥陀に救われたのだ」と、
 道綽禅師を大変尊敬され、褒め称えておられるところです。

ところが、これは大変誤解されているところで、
 道綽禅師がけなされたということは、
 私たちの善は何のあたいもないのだ、
 善をする必要はないのだと思ったり、
 念仏さえ称えればいいんだと思っています。

本当に親鸞聖人は、
そんなことを
教えておられるのでしょうか?
 
道綽禅師の教えられていることとは?

道綽禅師は、前の2行の、
 「道綽は聖道の証し難きことを決し、
  唯浄土の通入す可きことを明す」
のところでお話ししましたように、
お釈迦様の説かれた仏教に、
 「聖道仏教」と
「浄土仏教」の
2つあることを教えられた方です。

聖道仏教とは、
 自分のやった善根で助かろうとする教えです。

浄土仏教とは、
 無上仏である阿弥陀仏のお力によって救われる教えです。

道綽禅師は、
 「聖道仏教では助からないから捨てよ、
  浄土仏教を信じなさい」
とハッキリと教えられた方です。

それが、
 「万善の自力、勤修を貶し」
ということです。

「万善の自力」とは、
 私たちのやるすべての善のこと。
 「勤修」とは、励む、実行する、ということです。

「貶し」とは「けなされた」ということですから、
 「人間のやる善では助からない」という意味です。

人間のやる善で助かろうとする聖道仏教を、
 「それでは助からないから捨てよ」
と教えられているお言葉です。

ではそれは、
 「私たちのやる善をけなされているのだから、
 善をやる必要はない、善を勧めるのも間違いだ」
ということなのでしょうか。
 
仏教では善を勧めていいの?

これは決して
「善をするな」とか
「善いことをする必要はない」
ということではありません。

仏教の根幹は、因果の道理です。

善因善果
 悪因悪果
 自因自果

は大宇宙の真理ですから、
 善い種をまかなければ
善い結果はあらわれませんし、
 悪い種をまけば必ず 悪い結果が引き起こります。

この因果の道理で貫かれているのが、
 釈迦の説かれた仏教ですから、
 仏教の根幹は、
 「悪いことをやめて善をせよ」という
「廃悪修善」の教えになるのは当然なことです。

では、そんな仏教を教えられた道綽禅師が、
なぜ「善をけなされている」のでしょうか。
 
誤解が起きるポイント

これは
「私のやっている善では、
 人生究極の目的である浄土往生はできませんよ」
ということです。

『阿弥陀経』というお経にお釈迦様は、それを、

少善根福徳の因縁を以ては、
 彼の国に生まるることを得べからず。(『阿弥陀経』)

と説かれています。

「少善根」とは、人間のやる善のことです。
 私たちのやる善を、お釈迦様が、
 「小さな善根」と言われるのは、
 人間のやる善では
「彼の国に生まれることができないからだ」
ということです。

「彼の国」とは、
 無上仏である阿弥陀仏の極楽浄土
のことですから、

「我々の励む善では弥陀の浄土へは往けないよ」
ということです。

このことは、親鸞聖人も『教行信証』に、

急作・急修して頭燃を灸うが如くすれども、すべて「雑毒・雑修の善」と名け、また「虚仮・諂偽の行」と名く。「真実の業」と名けざるなり。この虚仮・雑毒の善を以て、無量光明土に生ぜんと欲す、これ必ず不可なり。(親鸞聖人『教行信証』信巻)

と断言されています。

「急作・急修」とは一生懸命、必死に、
 「頭燃を灸う」とは、頭についた火をもみ消すような真剣さで、
 「雑毒雑修の善」とは、見返りを期待する心や
自惚れ心などの毒に汚染されている善ということです。
 「虚仮諂偽の行」とはウソ偽りの善、
 「真実の業」とはまことの善、
 「無量光明土」とは弥陀の浄土のことですから、
これは、
 「親鸞、頭についた火をもみ消す真剣さで
善いことをやったけれども、
まことの善はできなかった。
 人間のやる善では、弥陀の浄土へ生まれることは、
 絶対にできないのだ」
ということです。

では人間のやる善を、
 何に対して「小さな善根」と、
けなされたのでしょうか。

私たちが浄土往生するには、
 本師本仏の阿弥陀仏の作られた「南無阿弥陀仏」の
万善万行の御名号のお力によるしかない、
とお釈迦様は教えておられます。

その「南無阿弥陀仏」の大善根に対して、
 私たちのやる善を「少善根」と言われているのです。

ですから、我々のやる善をけなされたのは、
あくまで、往生の一段についてのことであって、
 生活面のことではないのです。

ここは決して聞き誤ってはならない
極めて重要なところです。

往生の間に合わない我々の善を、
なぜ釈迦は一切経で勧められているのか。

本師本仏の阿弥陀仏が、十九願で
「修諸功徳」と勧められているからです。
その十九願の弥陀の御心を、お弟子のお釈迦様が、
 一切経に「廃悪修善」と勧められているのです。

光に向かって進まなければならないのは
当然のことです。
※このことは
『なぜ生きる2』(高森顕徹先生・著)に
詳説されています。

あくまでも
「弥陀の浄土へ往く」という
「往生の一段」においては、
 「我々のやる善では助からない」
と言われているのです。

「善をするな」ということでは、
 絶対にないことを、
よくよく知らなければなりません。

では、私たちが弥陀の浄土へ往生するには、
ただ念仏さえ称えていればいいのでしょうか?
 
では念仏さえ称えていればいいの?

次の「円満徳号勧専称」は、
 「円満の徳号、専称を勧む」
と読みます。

「円満の徳号」とは、名号のことです。
 「円満」とは完全無欠で欠け目のないこと、
 「徳」とは功徳のことです。

南無阿弥陀仏の六字の名号には、
 大宇宙の功徳のすべてが完全におさまっていますので、
 「円満の徳号」と言われています。

「専」とは、もっぱらということですが、
 他のことは何もしない
 という意味ではありません。
他力ということです。

ですからこれは、掃除も洗濯もせずに、
ただ念仏さえ称えていればいい、
ということではありません。
 道綽禅師が勧めておられるのは、
 他力の念仏です。

他力と自力の違いについては、
 正信偈の次の「三不三信の誨え」で、
 「三不信(自力)」と「三信(他力)」の水際を
「慇懃に」、丁寧に、詳しく教えられていますが、

阿弥陀仏から南無阿弥陀仏を頂いて、
 絶対の幸福の身に救われると、
 救われた喜びから称えずにおれない
 ご恩報謝のお礼の念仏が、
 他力の念仏です。

このように、私たちが弥陀の浄土へ往生するには、
 大善である「南無阿弥陀仏」の弥陀の名号を頂かなければ、
 絶対できませんから、
 早く「南無阿弥陀仏」を頂きなさいよと、
 道綽禅師が勧めておられることを
親鸞聖人は、
 「万善の自力、勤修を貶し、円満の徳号、専称を勧む」
と教えられているのです。

三不三信誨慇懃

三不三信誨慇懃  (三不・三信の誨、慇懃にして) 

目次
•阿弥陀仏に救われていない人の3つの心
•1「信心淳からず」とは?
•2「信心一ならず」とは?
•3「信心相続せず」とは?
•阿弥陀仏に救われた人の心は?
 
阿弥陀仏に救われていない人の3つの心

これは、親鸞聖人が、
 道綽禅師が教えられたことを書かれたお言葉で、
 「三不三信の誨、慇懃にして」
と読みます。

「三不三信」とは、
 「三不信」と「三信」、
 「誨」とは、教えということです。

「慇懃」とは、懇ろに、丁寧に、
ということですから、
 「道綽禅師は、三不信と三信の違いを懇ろに、
 丁寧に教えて下された」
と親鸞聖人が言われているお言葉です。

「三不信」とは、
まだ阿弥陀仏に救われていない人の心です。
 阿弥陀仏に一念で絶対の幸福に救われるまでを「信前」、
 一念で救われてからを「信後」と言います。

「三不信」とは、信前の人の心の状態で、
 「自力の信心」のことです。

「不」は、欠点ということで、
 自力の信心には、三つの欠点がありますから、
 「三不信」と言われているのです。

その三つの欠点について、
 親鸞聖人は『ご和讃』に
次のように教えておられます。

不如実修行といえること 鸞師釈してのたまわく
 一者信心あつからず 若存若亡するゆえに
 二者信心一ならず 決定なきゆえなれば
 三者信心相続せず 余念間故とのべたまう

まず「不如実修行といえること 鸞師釈してのたまわく」とは、
 自力の信心とはどんなものか、曇鸞大師が教えられている、
ということです。3つあります。

三不信
  不淳 (あつからず)
  不一 (一ならず)
  不相続(そうぞくせず)
 
1「信心淳からず」とは?

最初の「信心淳からず」とは、
 「淳」はあついということですから、
あつくない、薄いということです。
 薄いから、浅いのです。

「浅い」のは、知った覚えたと、
 合点しているだけの信心ですから
「若存若亡」するのだ、と言われています。

「若存若亡」とは
「在るが若く、亡きが若く」
とありますように、
ある時は助かるかなと思ったり、
ある時はこれじゃ助からないかなと思います。

また、何かちょっとした体験でもすると、
 信心を獲たように思いますが、
 腹でも立って、嫌な心が出てくると、
こんなことではまだ獲られてないのではなかろうか
 と思う心を言います。
 一念までそういう心がなくなりません。

信心があつくないと、
そういう若存若亡が起きてきます。
 信心あつくないのは、若存若亡する信心です。

では、2番目の「信心一ならず」とはどんな心でしょうか?
 
2「信心一ならず」とは?

次の「信心一ならず」とは、
 真実の信心ならば、
 「すべての仏が呆れて逃げた私を救いたもうのは、
 弥陀一仏しかなかった」
と弥陀一仏に心が一つになりますが、
 救われる前は、それがハッキリしません。

だから、諸仏や菩薩や諸神に心をかけたり、
 自分のやった善や称えた念仏で助かるのではないか、
という心が出てきます。
これを「一ならず」と言われています。

こんな信心には、明らかに決定した、
ということがありませんから、
 「決定なきゆえなれば」と言われています。

では、3番目の「信心相続せず」とはどんな心でしょうか?
 
3「信心相続せず」とは?

最後に「信心相続せず」とは
「続かない」ということです。
 「余念間故」するからです。

「余念間故」とは、色々な念いが
 まじってくるということで、
 説法を聞いている時は助かったように喜んでいますが、
 家に帰ると「どうもこんな心が出るようでは」と、
 不安な心が出てきて喜びが続きません。

寺は照る照る 道々曇る
   家に帰れば 雨風じゃ

という歌がありますが、喜びが続かないと、
 「こんなことでは助からんのではなかろうか」
と、自分の信心に疑いが出てきます。
 信心が続かないのです。

このように、自力の信心には
「信心淳からず」
 「信心一ならず」
 「信心相続せず」
という三つの欠点がありますから、
 「三不信」と教えられているのです。

では、阿弥陀仏に救われた人はどんな心なのでしょうか?
 
阿弥陀仏に救われた人の心は?

次に「三信」とは、信後の心を言います。
 「三不信」とは全く反対で、
 「淳心」「一心」「相続心」の三つのことです。
 他力の信心を言われたものです。

三信  │三不信
  淳心 │ 不淳 (あつからず)
  一心 │ 不一 (一ならず)
  相続心│ 不相続(そうぞくせず)

「淳心」とは、
ツユチリ程の疑いもなく弥陀に救い摂られた、
 若存若亡の無くなった心を言います。

「一心」とは、
 私を助けて下さる仏は弥陀一仏しかなかったと、
 心が一つになったことです。

「相続心」とは、
その一心が死ぬまで続くことです。
ツユチリ程の疑いもなく弥陀に救い摂られ、
 心が一つになると、寝てもさめても、
 阿弥陀仏に助けて頂いたご恩をどうするか、
ずーっと続きます。

このように、親鸞聖人が朝夕、
 「道綽禅師は、三不信と三信の違いを、
 詳しく丁寧に教えられた」
と、教えられているのは、
 「道綽禅師も、救われる前はこうだ、救われたらこうだと、
 信前信後の水際を懇ろに教えておられる。
 『自力の信心』と『他力の信心』の違いを、
 丁寧に言っているのは、親鸞だけではないのですよ」
と言われている正信偈のお言葉です。

像末法滅同悲引

像末法滅同悲引  (像・末・法滅同じく悲引したまう) 

目次
•釈尊お亡くなりになった後の3つの時代
•現代は親鸞聖人の時代と同じ!?
•永遠に変わらない救いは?
 
釈尊お亡くなりになった後の3つの時代

「像末法滅同悲引」は、
 「像・末・法滅同じく悲引したまう」と読みます。

阿弥陀仏の本願は、三世十方を貫く真実であることを
教えられているお言葉です。

仏教では、釈尊がお亡くなりになった後を3つに分けて
「三時」と言われており、
大集経、その他多くの経典に説かれています。

それは、お釈迦様は、
 私が死んだ後、500年間を「正法」
 正法の後、1千年間を「像法」と言われています。
さらに、像法の後、1万年間を「末法」
 末法の後は、永遠に「法滅」の時代が来ると言われています。

そして、お釈迦様は、 正法の時機は、教と行と証がある
像法の時機は、教と行はあるが、証はなくなると言われています。
 末法の時機は、教えはありますが、行と証はなくなると言われています。
そして
法滅の時機になると、教えもなくなると言われています。

     仏滅から 教 行 証
  正法   500 ○ ○ ○
 像法  1000 ○ ○
 末法 10000 ○
 法滅    ↓

ここでお釈迦様が、教と言われていますのは
 お釈迦さまの説かれた厳しい修行をしてさとりを目指す
釈迦の教えのことです。

正法の時機は、お釈迦様の教えられた通り実行する者もいる
 ある程度さとりを開く者もいると言われています。
ところが、だんだん世の中が乱れてきますので、
 像法の時機になりますと、
 修行する者はあるが、悟る者はなくなると言われています。

そして、末法の時機になると、教えはありますが、
 修行する者もなくなると言われ、
 法滅になりますと、教えも滅してしまう
 と言われています。

では、私たちの現代はどの時代に入るのでしょうか?
 
現代は親鸞聖人の時代と同じ!?

私たちの現代は、この中で、「末法」にあたります。
ところが、親鸞聖人の時代も私たちと同じ「末法」ですので、
 親鸞聖人は、このように言われています。

釈迦の教法ましませど
修すべき有情のなきゆえに
 さとりうるもの末法に
一人もあらじとときたまう
         (親鸞聖人『正像末和讃』)

末法の時代は、教はあるのですが、
 行も証もない、ということです。
ですから、ここで言われる「教法」は
阿弥陀仏の本願ではなく、
 修行によってさとりを目指す、
 釈迦の教え(聖道自力の仏教)です。

「修すべき有情のなきゆえに」とは
「有情」とは、心有るものということで、
 人のことですから、
 修行する者がいない、
または、いたとしても、
お釈迦さまの説かれた教えの通り実行する者がない、
 行がなくなってしまう、ということです。

ですから「さとりうるもの末法に一人もあらじ」
 行がありませんから、
 証があるはずがありません。

では、私たちは救われないのでしょうか?
 
永遠に変わらない救いは?

ところが、
 「像・末・法滅同じく悲引したまう」
ということは、
 正法の時機、
 像法の時機、
 末法、法滅の時代になっても、
 救われる教えがあると言われています。

たとえ一万年後、
 法滅の時機になっても、
 残るのは阿弥陀仏の本願です。

それは、阿弥陀仏の本願の説かれた
大無量寿経に説かれています。
 大無量寿経の最後に

当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲を以て哀愍し、
 特に此の経を留めて止住すること百歳せん。
 (『大無量寿経』)

「当来」とは未来。
 「経道滅尽」は法滅ということです。
 将来そういう時機がくるけれど、
 「我慈悲を以て哀愍し」
 私は慈悲をもってすべての人を哀れみ慈しみ、
 「この経」とは、大無量寿経です。

親鸞聖人が、主著『教行信証』の一番最初に

それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。
 (親鸞聖人『教行信証』)

とハッキリおっしゃっている、
ただ一つの真実の教えです。

その大無量寿経を
「とどめて止住すること百歳せん」
 「百歳」は、無限(永遠)ということです。
 百といっても、
 101より1つ少ない100ではありません。
その場合は「一百歳」といわれますから、
 「百歳」は、満数といって、無限ということです。

大無量寿経には
阿弥陀仏の本願しか説かれていませんから、
 阿弥陀仏の本願だけは永遠に滅びず、
すべての人を救済し続けるであろうと
 お釈迦さまは説かれています。

「法華経など、私の説いた教えは、法滅で滅するであろう。
だが、阿弥陀仏の本願は、永遠だ」
とお釈迦さまは説かれているのです。

このように、時代を超えて、
 三世十方を貫くものを真実といいます。

末法一万年の後、
 法滅になくなるものは、
 三世を貫かないものですから
真実ではないということです。

真実ではないのになぜ
釈迦は説かれたのかというと、
 真実へ入れるための方便であるとハッキリします。

三世十方貫くものは、阿弥陀仏の本願しかありません。
 真実でないものをなぜ釈迦は説かれたかといいますと、
その、弥陀の本願真実へ導き入れるためです。

正法、像法、末法、法滅も貫いて、
 「同悲引」
 同じように悲引したまう。
 時代に関係なく、
 真実の幸福の世界に引き入れてくだされるのは、
 弥陀の本願しかありません。

この、生きているとき、一念で絶対の幸福に救う
阿弥陀仏の本願は、
これから何千年、何万年、何億年経っても、
 永久になくならないであろう。
永久に弥陀の救いは輝き、
 十方衆生を救い続けるのが、
 弥陀の本願である
 と、親鸞聖人が教えられているのが、
 「像末法滅同悲引」
の正信偈のお言葉です。

一生造悪値弘誓 至安養界証妙果

一生造悪値弘誓  (一生悪を造れども
弘誓に値いぬれば) 
至安養界証妙果  (安養界に至りて妙果を証せしむ) 

目次
•「一生悪を造れども」とは?
•そんな私たちが「弘誓」に値う
•どうして「値う」の漢字が使われているの?
•安養界に至りて妙果を証せしむ
 
「一生悪を造れども」とは?

 これは、道綽禅師の教えを親鸞聖人が教えられたものです。
 『一生悪をつくれども、弘誓に値いぬれば、
 安養界に至りて妙果を証せしむ』
と読みます。

『一生悪をつくれども』とは、
 「一生」とは、私たちが生まれてから死ぬまでの人生のことです。
 「造悪」とは、悪を造る。

私たちが生まれてから死ぬまでの間、悪を造り続けている。

「一生悪を造れども」とは、
この一生涯生まれてから死ぬまで人生、
 悪ばかり造っている。
 悪しか造れないとおっしゃっています。

道綽禅師は、

 若し悪を造ることを論ずれば、何ぞ暴風駛雨に異ならん

とおっしゃっています。

『暴風駛雨』とは、
 『暴風』とは、激しく吹く風。台風のような嵐ということです。
 『駛雨』とは、どしゃぶりの雨、スコールのような雨を言います。

暴風駛雨のように激しく悪を造り続けているのが、
 道綽禅師のおっしゃった、私たち人間のすがたです。

そんな私たちが、
 『弘誓に値う』のだとおっしゃっています。
 
そんな私たちが「弘誓」に値う

『弘誓』とは、阿弥陀仏の本願のことです。

大宇宙には、数え切れない程の仏様がまします仏様の
本師本仏である、
 阿弥陀如来のなされていますお約束のことを、
 本願と言われます。

本願を『弘誓』ともいいます。
 『弘誓』とは、誓いとありますように、
お約束ということです。

このお約束を弘誓と言われますのは、
 阿弥陀仏のお約束の相手が大変弘いからです。
 阿弥陀仏は、すべての人を救うとお約束されています。

このように、どんな人でも救うとお約束なされているのは、
 阿弥陀仏だけですので、阿弥陀仏のお約束を、
 弘誓と言われています。
 
どうして「値う」の漢字が使われているの?

値うというのは、阿弥陀仏のお約束通り、
 無碍の一道に救い摂られるということです。

雨にあったといいますが、
 雨にあったということは、ずぶぬれになったということです。

火事にあったといいますが、
 火事にあったということは、家が焼けたということです。

阿弥陀仏の本願にあったといいますのは、
 阿弥陀仏に救い摂られたということです。

その『あう』ということを、親鸞聖人は、
 『値』という字を書いておられます。

『あう』と言っても色々ありますが、
 『会』このあうは、多くの人が一堂に集まる。
 『逢』これは、男女があう。
 『遭』これは、事故に遭うとか、
 災難に遭うという時に使われます。

親鸞聖人は、ここで、
 『会』でも
『逢』でも
『遭』でもなく、
 『値』を使われたのはどういうことかといいますと、
 阿弥陀仏の本願にあうということは、一生涯にただ一度しかない。
 二度とあうことのない、そういうことにあうことです。

世々生々、多生の間、遠い過去から、遠い未来にわたって、
あう人は一度、ない人は、一度もない。
そういうことにあうことです。

これを「値」の字を使います。

多くの人が集まるのは、またあうということがあります。
 或いは、火事にあうというのは、又家が焼けるということがある
 かもしれません。
 又次あるということがあるということですが
阿弥陀仏の本願にあうということは、
 過去にもないということですから、
 親鸞聖人は、弘誓に値うといわれています。
 
安養界に至りて妙果を証せしむ

この世で阿弥陀仏の本願に救われた人は
『安養界』とは、阿弥陀仏の極楽浄土のことを安養界と言います。

『妙果』とは、弥陀同体のさとりをいいますから、
 阿弥陀仏と同じさとりを開かせて頂けるのだと、
 親鸞聖人はおっしゃっています。

善導独明仏正意

善導独明仏正意  (善導独り、仏の正意を明らかにし) 

目次
•善導独り、仏の正意を明らかにして
•善導大師とは?
•中国の唐の時代とは?
•仏の正意とは?
 
善導独り、仏の正意を明らかにして

「善導独明仏正意」は
「善導独り、仏の正意を明らかにして」
と読みます。

「善導」とは、善導大師のことです。
 「仏の正意」とは、仏様の正しい御意のことですから、

「善導独り、仏の正意を明らかにして」とは、
 親鸞聖人が、
 「善導大師ただ独り、仏様の正しい御意を明らかにして下された。
そのおかげで親鸞、弥陀に救い摂られることができたのだ」
と、一段と声を大きくして
善導大師を褒め称えておられるお言葉です。
 
善導大師とは?

善導大師は、約1300年前の
中国の唐という時代の方です。

大変まじめで、30年間、
 一度も布団を敷いて休まれることなく
仏教の勉学に励ましたと言われます。

修行の妨げにならないようにと、
 道で女性とすれ違う時は笠で顔をかくされた、
とも言われます。

このような善導大師を親鸞聖人は、
 「大心海化現の善導」と言われて
極楽浄土から仏さまが人間として現れられた方だと、
と尊敬しておられます。
 
中国の唐の時代とは?

善導大師の活躍された唐の時代は、
 中国の歴史上、最も仏教が栄えた時代でした。

時の天子も仏教を信奉して、
 仏教を保護しておりましたので
沢山の寺が建てられ、
 多くの人が仏法に帰依しました。

中国の天台宗を開いた天台、
 地論宗の浄影、
 三論宗の嘉祥といった
一宗一派を開いたような者が続出し、
その弟子の僧侶たちも何十万とあった時代でした。

天台─天台宗
 浄影─地論宗
 嘉祥─三論宗

それなら「仏の正意」に
明らかな人はたくさんあったのではないでしょうか?
 実際、それぞれ明らかだったと思われていました。

ところが親鸞聖人は、
その何十万の僧の中で、
 善導大師ただお独りが
「仏の正意」に明らかであったと
言われているのです。

これは親鸞聖人の単なる主観ではありません。
 善導大師は、当時、たくさんの僧侶を相手として
天台・浄影・嘉祥らの誤りを
打ち破られているのです。
 
仏の正意とは?

では「仏の正意」
 仏様の本当の御意とは何かといいますと、

仏様とは、仏のさとりを開かれた方のことです。

一口にさとりと言いましても、
 低いさとりから高いさとりまで52の位があり、
これをさとりの52位と言われます。

その最高のさとりの位を
「仏覚」とか「無上覚」と言われます。
この最高無上のさとりを開かれた方のみを、
 仏とか仏様といわれます。

この仏のさとりまで到達された方は、
 地球上ではお釈迦様以外にありませんから、
 「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
と言われます。

そのお釈迦様が、
 80才でお亡くなりになるまで
説いてゆかれた教えを、
 今日、仏教と言われます。

その教えのすべては、
 七千余巻の一切経
となって書き残されています。

その一切経で、
 釈迦の説かれたことはただ一つ、
 「阿弥陀仏の本願」でありました。

「阿弥陀仏の本願」とは、
 大宇宙に無数にまします仏方の
本師本仏・先生の仏である阿弥陀仏が、
 本当に願っておられる御意、
ということです。

善導大師は、その阿弥陀仏の御意を、
 「どんな極悪人でも、我を信じよ、
 必ず平生に救いきると、約束しておられるのだ」
と、鮮明に教えてゆかれました。

何千何万の僧侶があっても、
 「仏の正意」をこのように明らかにされたのは、
 善導大師しかなかったので親鸞聖人は、
その偉大な善導大師を、
 「善導独明仏正意」と
朝夕、讃嘆されているのです。

矜哀定散与逆悪 光明名号顕因縁

矜哀定散与逆悪  (定散と逆悪とを矜哀して) 
光明名号顕因縁  (光明・名号の因縁を顕したまう) 

目次
•「定散」とはどんな人?
•「逆悪」はどんな人?
•どんな人でも救われる?
•因と縁がそろって初めて結果が現れる
•信心の因とは?
•名号を受け取らせる縁とは?
•ですから助かる因縁は?
 
「定散」とはどんな人?

「矜哀定散与逆悪」は、
 「定散と逆悪を矜哀して」と読みます。

これは、親鸞聖人が大変尊敬されている、
 善導大師のお言葉です。

「定散」の
「定」は、定善の機のことです。
 「機」は人のことを仏教で機といいますから、
 定善の人ということです。

定善というのは、
 定とは心を静めるということですから、
 阿弥陀仏に向かって、心を静めて善を行い、
 浄土往生しようとしている人を
定善の人といいます。

今日は親の命日
 伴侶を亡くした日
 子供の亡くなった日だから
今日くらいは一心不乱に、
 心を乱さずおつとめしよう
 と思って正信偈のおつとめを始めます。

帰命無量寿如来
 南無不可思議光………
すると、一心になっているつもりだったのに、
 心があっち飛び、こっち飛びして
 じっとしていることがありません。

心をしずめて
善いことしよう、
 善いこと思おう、
 他のくだらないことうまい、と心がけると、
そういう散乱している自分の心が見えてくるのです。

そのように、自分の心をしずめて善をしよう。
そういうことできると思っているときは
定善の機と言うのです。

ところがやってみると、
とてもどうにもならない
散り乱れている自分の心が見えてきます。

そこで今度は「定散」の「散」です。
 「散」とは散善の機、
 散善の人のことです。

散善の人とは、阿弥陀仏に向かって、
 心が散り乱れているままで
善を行い、助かろうとしている人です。
 心があっちこっち飛び回っているままで廃悪修善
 悪をやめて善をやる人を散善の機といいます。
 
「逆悪」はどんな人?

次の「定散与逆悪」の
与えるという字は「と」と読みます。
 「逆」は、五逆罪という5つの恐ろしい罪作っている人、
 「悪」は、十悪の人です。

私たちは数え切れない程、
 悪いことばかりしているのですが、
それらの悪を十にまとめて
「十悪」と教えられています。
 以下の十の罪です。

(1) 貪欲……底の知れない欲で造る罪。
(2) 瞋恚……怒りの心で造る罪。
(3) 愚痴……ウラミ・ネタミ・ソネミの心で造る罪。
(4) 綺語……心にもないお世辞を言って相手を騙す言葉。
(5) 両舌……二枚舌。人間関係を裂いて、仲悪くさせることを言うこと。
(6) 悪口……中傷、わる口のこと。他人を傷つける言葉。
(7) 妄語……事実無根のウソをついて相手を苦しめること。
(8) 殺生……生き物を殺すこと。
(9) 偸盗……他人のものを盗むこと。
(10) 邪淫……よこしまな男女関係。

これを「十悪」といいます。
この「十悪」よりも、
もっと重い罪が、五逆罪です。
 最も苦しみの激しい無間地獄へ堕つる、
 「無間業」と言われます。

「五逆罪」とは

(1) 父殺し
(2) 母殺し
(3) 羅漢殺し
(4) 和合僧を破る
(5) 仏身より血を出す

の5つです。

「父殺し」と「母殺し」は、大恩ある親を殺す罪です。
 「羅漢殺し」とは、仏道修行をして相当高いさとりを開いた
羅漢といわれる人を殺す罪です。
 「和合僧を破る」とは
「僧」は、仏教を正しく伝える人ですから
 それらの人達の集まりを乱す行為です。
 「仏身より血を出す」とは、
 仏様のお身体に傷をつけ、血を流させる罪です。

これらの「五逆罪」や「十悪」を造っている人を
「逆悪」と言われています。

ですから「定散と逆悪」で、
すべての人がおさまります。
この中に入らない人はありません。

「定散と逆悪」と言われていますのは、
 「定善の人」も「散善の人」も
「五逆の人」も「十悪の人」も、ということで
 どんな人でも、ということです。

「矜哀して」とは、
 憐れんで、
かわいそうに思われて、
ということです。

善導大師は、
 善人も悪人も、どんな人でも、この道を進んで、
 後生の一大事を解決して絶対の幸福になれるんですよ
 だからこの道進みなさいと教えられた人だと
親鸞聖人はおっしゃっています。
 
どんな人でも救われる?

どうしてどんな人でも、救われるのでしょうか。

なぜどんな人でも
阿弥陀如来のお約束通りに
絶対の幸福に救われるのか
 ということについて、
 「光明名号顕因縁」
 光明と名号の因縁を明らかにせられた
 ということです。

これが、善導大師のどんな人でも、
 阿弥陀仏のお約束通りにこの世で救われるんですよ、
ということについての答えです。
 
因と縁がそろって初めて結果が現れる

どんなことでも因と縁がないと、
 結果は現れません。
 結果には、どんなことにも、
 必ず因と縁があります。
 因だけでも、縁だけでも結果は現れません。
 因と縁がそろって初めて、
 結果があらわれるのです。

┌─┐ ┌─┐
 │因├┬┤縁│
 └─┘│└─┘
   │
  ┌┴┐
  │果│
  └─┘

これが仏教の根幹である
因果の道理です。

例えば米という結果の、
 「因」はもみだねです。
もみだねがなければ米という結果は絶対にえられません。

米を作ろうとするとき、
 絶対必要なのは、もみだねですから
因は大事です。

では、もみだねだけあれば米ができるのかといいますと
 いくらもみだねを床の上にまいても
米にはなりません。

もみだねが米になるのを助ける
土や水、日光や肥料など、
 色々なものが必要になります。
これらのものを仏教で「縁」といいます。

 ┌─┐ ┌─┐
 │因├┬┤縁│
 └─┘│└─┘
 モ  │ 水太土肥
  ミ ┌┴┐ 陽 料
  ダ │果│
 ネ └─┘
    米

もみだねという「因」と、
 土や水や日光という「縁」がそろったときに、
 米という結果が現れます。

私たちに絶対の幸福という結果が現れるのにも、
 必ず「因」と「縁」があるのです。

善導大師が、
 阿弥陀仏のお約束通り、私たちが救われる
因と縁を明らかに教えられたということが、
 「因縁を顕わししたまう」
ということです。

定善の人も、散善の人も、逆悪の人も、
どんな人でも信心決定して絶対の幸福に救われるというのは、
どんな因と縁によるのか、
その助かる因縁を明らかにされています。
 
信心の因とは?

どのように教えられているかといいますと、
 「因」は名号、
 「縁」は光明、
 「果」は信心と
善導大師は明らかにされたのです。

名号とは「南無阿弥陀仏」の六字です。
 阿弥陀仏が、私たちの後生の一大事を解決して
絶対の幸福にするためにつくられたのが
南無阿弥陀仏という六字の名号です。

それで、蓮如上人は
南無阿弥陀仏の名号の尊さ偉大さを
 このように言われています。

「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、 さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、 無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり。
 (御文章五帖)

またお釈迦さまの一切経は、
この南無阿弥陀仏一つ、教えられるためであった、
とも教えられています。

一切の聖教というも、ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなり。
 (御文章五帖目9通)

「一切の聖教」とは
 お釈迦さまの一代の教えが記された、一切経のことです。
それらはすべて
 ただ南無阿弥陀仏の広大な宝であることを教えて、
 私たちに受け取らせるためだと言われています。

私たちに何とかして名号を受け取らせるために
 お釈迦さまが、一切経を説かれたのだ
 ということです。

この南無阿弥陀仏の大功徳は、阿弥陀仏が
私たちに与えて、後生の一大事を解決し、
 絶対の幸福にするために
十劫の昔に完成されているのです。

ではなぜ、信心決定なぜできないのでしょうか。

南無阿弥陀仏の無上甚深の功徳利益は
十劫の昔に阿弥陀仏の手元にできているのに、
なぜ私たちは、いまだに後生の一大事解決ができず、
 絶対の幸福、無碍の一道に出られないのかというと、
その名号を受け取っていないからです。
 
名号を受け取らせる縁とは?

そこで、どうすれば名号を受け取らせることができるかと、
 阿弥陀仏が種々にご苦労されているお働きを
「光明」と言われているのです。

この光明に2つあります。
 「遍照の光明」と、
 「摂取の光明」です。

「遍照の光明」とは、
 「遍」とは、すべての人にかかっている
 ということですから、
すべての人をあまねく照らすということで
「遍照」と言います。

今キリスト教を信じている人も、
イスラム教を信じている人も
私は無宗教だといっている人も、
どんな人にでもかかっている
阿弥陀仏のお力です。

「遍照の光明」をまた
「調熟の光明」ともいわれます。
それは阿弥陀仏が私たちの心をととのえて
名号を受け取れる状態にしてくだされるからです。

私たちの心を畑にたとえると、
 石やら木の根っこやらが、たくさんあります。

そんな状態では種をおろしてもダメですから
 まず畑をたがやします。
 石ころをみんなとって、
 木の根っこもとって、
そして、そこへたねをおろすことになるのです。

そのように盤根錯節した私たちの心を耕して、
そこへ南無阿弥陀仏の仏種をおろそうと
私たちにかかり果ててくだされている
目に見えない阿弥陀仏の働きが
「調熟の光明」です。

「調」はととのえる、
 荒れた土地をきれいに耕して、
いつでも種をまけるような状態にする、
ということです。

調熟の「熟」は、
 柿が熟するようなもので、
 青い柿でも日が当たるとだんだん色づいて
 やがておいしい熟柿になります。

そのように、
 阿弥陀仏が私たちの心を信心決定まで、
 光明で照らして育てて下されるのです。

仏とも法とも知らなかった私が、
 弥陀の光明に照育されて、
 無常と罪悪に驚き、後生の一大事を知らされ、
 仏法を真剣に聞かずにおれなくなります。

やがて、名号と一体になるところまで、
だんだん私の心を調え育てて下されるのです。

そして聞即信の一念、
 南無阿弥陀仏の宝を頂いたときが、
 「摂取の光明」におさめとられたときです。
 一念で摂取せられます。

それからは命ある限りずーっと「摂取の光明」に
守られていくのです。

一念で絶対の幸福に救い摂るまで
阿弥陀仏が善巧方便して
私の心を熟させるために
働いていてくだされるのが「調熟の光明」です。

一念で名号を与えて
絶対の幸福に救い摂ってくだされるのが「摂取の光明」です。
どちらも阿弥陀仏の光明の働きなのです。
 
ですから助かる因縁は?

ですから
因も阿弥陀仏のつくられた名号ですから他力です。
 縁も光明、阿弥陀仏のお働きですから他力です。
 因縁共に他力ですから、
 結果として生ずる信心もまた他力の信心となるのです。
ここには自力は一切、入りません。

だから「定善の人」も「散善の人」も、
 「五逆の人」も「十悪の人」も、
どんな人でも、
 「名号の因」と「光明の縁」によって、
 信心獲得させて頂けるのだ。
どんな人でも助かるんですよ、
と善導大師は、
 光明名号の因縁を明らかにされているのです。

このように名号も光明も阿弥陀仏のお力ですから、
 因も縁もすべて他力、
 平生に絶対の幸福に救われることも、
 死んで弥陀の浄土へ往生させて頂くことも、
みんな弥陀の独り働きなのだよ、
と善導大師が教えていられることを
親鸞聖人は、
 「定散と逆悪とを矜哀して、
  光明名号の因縁を顕したまう」
と言われているのです。

開入本願大智海 行者正受金剛心

開入本願大智海  (本願の大智海に開入すれば) 
行者正受金剛心  (行者正しく金剛心を受け) 

目次
•本願とは?
•大智海とは?
•本願に救われると?
•何を頂くの?
•どれ位変わらないの?
 
本願とは?

「開入本願大智海 行者正受金剛心」は、
 「本願の大智海に開入すれば、行者正しく金剛心を受け」
と読みます。

「本願」とは「阿弥陀仏の本願」のことです。
 「阿弥陀仏の本願」とは、大宇宙の諸仏の本師本仏の阿弥陀仏が、
 「我を信じよ
 どんな人をも
 必ず助ける
 絶対の幸福に」
と誓われているお約束のことです。

ではその阿弥陀仏の本願を、
 親鸞聖人はなぜ「大智海」と言われているのでしょうか。
 
大智海とは?

「大智」とは、大きな智慧ということで、
 仏の智慧、仏智のことです。

仏はみな、慈悲と智慧を円満しておられるますので、
 「悲智円満」といわれます。
 「悲」とは慈悲、
 「智」とは智慧のことです。

慈悲と智慧がなければ、仏ではありません。
 大宇宙の諸仏は、みな慈悲と智慧が円満しておられます。

ところが阿弥陀仏は特に、
 諸仏方とはけた違いに深い智慧を持っておられます。

知慧の働きとは、
 私たちの苦しみを抜き取ってくださる働きですから、
 智慧とは、私たちを救う力です。

この智慧が深いことが、
 阿弥陀仏が、他の仏に比べて、
ずば抜けてすぐれておられる所ですので
諸仏方は、阿弥陀仏のことを「智恵光仏」と言われています。

それを親鸞聖人はこう言われています。

無明の闇を破するゆえ
智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆
ともに嘆誉したまえり(親鸞聖人『浄土和讃』)

阿弥陀仏の光明(智慧)は限りなく、
 大宇宙の諸仏が見捨てた私たちを救うお力を持っておられる。
 苦悩の根元である「無明の闇」を破るお力があるから、
 一切の諸仏や菩薩方は、阿弥陀仏を「智慧光仏」といって、
 褒め称えておられるのである、ということです。

他の仏の知慧では、
 破ることのできなかった私たちの無明の闇を
阿弥陀仏だけが破ることができるので、
 大宇宙のすべての仏さま方が
「われらが本師本仏」「諸仏の王である」
と称讃されるのです。

その、ずば抜けて広く深い智慧の働きによって
 なされているお約束が阿弥陀仏の本願ですから、
 親鸞聖人は海にたとえらて
「本願の大智海」と言われています。

ですから、
 「本願の大智海に開入すれば」とは、
 阿弥陀仏の本願の通り、無明の闇が破られて、
 絶対の幸福の身に救い摂られたならば
 ということです。

では救われたらどうなるのでしょうか?
 
本願に救われると?

次に「行者正しく金剛心を受ける」
と教えられています。

「行者」とは
普通、行者と聞くと、
 山で修行をする人のように思われるかもしれませんが、
そうではありません。

ここでは「行く者」と言っていいでしょう。
どこへ向かって行く人かといいますと、
 「弥陀の浄土へ往く人」のことです。

私たちは、何のために生まれてきたのか、
どこへ向かって生きているのか、
なぜ苦しくて生きねばならないのか。
これが人生の目的です。

親鸞聖人は、私たちの究極の目的は、
 「この世で絶対の幸福に救い摂られ、
 来世は弥陀の浄土へ往って、
 弥陀と同じ仏に生まれることである」
と教えておられますから
「行者」とは、その究極の目的に向かって行く人、
 弥陀の浄土に向かってゆく人、
ということです。

「正しく」とは「間違いなく」「確実に」、
 「受ける」とは、阿弥陀仏から頂くということです。

では行者は、阿弥陀仏から何を頂くのでしょうか。
 
何を頂くの?

それが「行者正しく金剛心を受ける」と言われている
「金剛心」です。
 「金剛心」とは、金剛石のような心、
ということです。

金剛石とは、ダイヤモンドのことで、
 地球上で最も硬い石です。
 「硬い」ということは、
 「変わらない」ということですから、
 金剛心とは、絶対変わらない心ということです。

どんなことがあっても、
 微動だにもしない心のことを、
 金剛心と言われているのです。

私たちの心は、盆の上の卵のように
 コロコロ変わるから、
ココロといわれるのだそうです。

そんな、動きずくめ、変わりずくめの私たちの心が、
 人生究極の目的を完成すれば、
 絶対変わらない心になるのだ、
ということです。
 
どれ位変わらないの?

どれ位変わらないのかについては、
 善導大師は「四重の破人」に攻撃されても微動だにもしない
 と教えられています。

「四重」とは4通り、
 「破人」とは破ろうとしている人ということで、
 阿弥陀仏に救われた人の信心を動乱させ破壊しようとする
者たちのことです。

どんな人たちかというと、

(1)智者や学者が総攻撃しても
(2)初地以下の聖者が総攻撃しても
(3)初地以上十地以下の菩薩が総攻撃しても
(4)仏が攻撃しても

阿弥陀仏に救われた人を、
 仏さまが攻撃することは絶対にあり得ませんが、
 仮定として、たとえあったとしても、
 信心は、まったく動揺しないということです。

この四重の破人が総攻撃しても、
 微動だにもしない心が金剛心だと教えられています。

このように、
 「開入本願大智海 行者摂受金剛心」
 「本願の大智海に開入すれば、行者正しく金剛心を受ける」とは
人生究極の目的に向かって行く者には、
 必ず完成ということがある。
この世で阿弥陀仏の本願に救い摂られたならば、
どんな非難攻撃を受けても変わらない、
 鮮明不動の金剛心になれるよ。
と親鸞聖人は断言されているのです。

慶喜一念相応後

慶喜一念相応後  (慶喜一念相応の後) 

目次
•相応とは?
•何が相応するの?
•相応した時とは?
 
相応とは?

「慶喜一念相応後」は、
 「慶喜一念相応の後」
と読みます。

「相応」とは2つのものがピッタリあう、
ということです。

よく「函蓋相応」と言われます。
 「函蓋」とは、身と蓋、蓋と身のことです。
ふたとみがあわないというのは、
 蓋が身より小さかったら入りませんし、
 蓋が身より大きかったらがたがたで、
 箱になりません。
ですから、蓋と身が
 ピッタリ合わなければなりません。

また「身分不相応」と言われるときは、
 「身分不相応な服装しているね」
 「身分不相応な車に乗ってるね」と言われます。
 自分の立場と、服装や車が合わないということです。

また
「あの人とあの人は相応した夫婦だな」
 「あの人とあの人は不相応な夫婦だな」
とも言われます。

このように、2つのものが、ピッタリあうことを
相応すると言います。

では、ここで「相応」するのは何と何なのでしょうか。
 
何が相応するの?

ここで相応するのは何と何かといいますと、
 「機」と「法」とが相応します。

「法」とは阿弥陀仏の本願です。
 親鸞聖人は「願に相応する」と言われています。

「機」とは、阿弥陀仏が建てられた本願は、
すべての人をどうみてとられておるかといいますと、
 「逆謗」とみておられます。
これが「真実の機」です。

阿弥陀仏は、すべての人を「逆謗」とみて、
それを助けようと本願を建てられています。

いつまでたっても晴れて満足できないのは、
 阿弥陀仏の本願と相応しないからです。

「相応しない」とはどういうことでしょうか。

「逆謗」とは絶対助からないものということです。
それなのに私たちは、
 何とかしたら何とかなれると思っています。
だから、本願と合わないのです。

それが、金輪際助からない逆謗であった、
と知らされた時、本願と相応します。
 蓋と身がピッタリあいます。

ところが私たちは、
 何とかしたら何とかなれると自惚れているから、
 願に相応せず、
いつまでたっても流転を重ねるのです。

「相応」とは、蓋と身がピタッとあったことです。

本願でいうなら、逆謗の機と
 それを助ける本願の法がピタッと一致した時。
これを願に相応したといわれます。

私は逆謗の屍と知らされた時、ピタッときます。
 阿弥陀仏は、私たちを逆謗の屍と見てとられ、
 本願を建てられたので、
ピタッと合うのです。
 
相応した時とは?

次に「慶喜一念相応後」の
「一念」とは、阿弥陀仏の本願に相応して、
 絶対の幸福に救われる極めてはやい時を言います。
 親鸞聖人は、

「一念」とは、これ信楽開発の、時尅の極促をあらわす。
 (親鸞聖人『教行信証』)

とおっしゃっています。

「信楽」とは、絶対の幸福のことですから、
 「信楽開発」は、絶対の幸福になったことです。

「時尅」とは、時間と言っても同じです。
 「極促」とは、極速と同じで、極めて速いということですから、
 阿弥陀仏の本願に相応して、
 絶対の幸福に救われる何億分の一秒よりも速い時を、
 「一念」といいます。

その時、人間に生まれてよかったという
大きな喜びがおきますから、
 親鸞聖人は「慶喜」とおっしゃっています。

「慶喜一念相応後」の「後」は、
なった時ということで、次の行に続きます。

このように、阿弥陀仏の本願通りに、
 一念で阿弥陀仏の本願に救い摂られ、
 人間に生まれてよかったと生命の大歓喜の起きたことを
「慶喜一念相応後」と
親鸞聖人はおっしゃっています。

与韋提等獲三忍 即証法性之常楽

与韋提等獲三忍  (韋提と等しく三忍を獲) 
即証法性之常楽  (即ち法性の常楽を証せしむ
 といえり)

目次
•阿弥陀仏に救われたイダイケ夫人
•三忍とは?
•法性の常楽を証せしむ
 
阿弥陀仏に救われたイダイケ夫人

まず親鸞聖人が「韋提と等しく三忍を獲る」
と言われている「韋提」とは韋提希夫人のことです。

イダイケ夫人は、約2600年前、
お釈迦さまご在世の昔、
インドの王舎城に住んでいた、
ビンバシャラという王様の妃でした。
その韋提希が、我が子によって牢屋に入れられ、
 地獄の苦しみを受け、のたうち回っていたとき、
お釈迦様のお導きによって、
 阿弥陀仏の本願に救い摂られ、
 大慶喜の身になったことが、
 『観無量寿経』に説かれています。

その韋提希夫人を、
 親鸞聖人は「韋提」と言われています。

ですから、
 「韋堤と等しく三忍を獲る」
とは、
 「阿弥陀仏の本願に一念で救い摂られたならば、
 韋提希夫人と等しく、三忍を獲られるのだよ」
という親鸞聖人のお言葉です。

では「三忍」とはどんなことでしょうか。
 
三忍とは?

「三忍」とは
「忍」とは「刃の下の心」と書きますように、
 今まさに刀で首を切られようと
 している時でも変わらない心、
ビリッとも変わらない心です。
ですから、三つの変わらない心を
「三忍」といいます。

「喜忍」
 「悟忍」
 「信忍」
の3つの心をいいます。

救われたと同時に、三忍の心になりますから、
 喜忍の心になって、悟忍になるとか、
 悟忍の心になって、信忍の心になる、
というような順番はありません。
 言葉にするときには、どれかが先になり、
 真ん中になり、後になりますが、
 順序は問題ではありません。

「喜忍」とは「喜」は喜び、
 「忍」は心ですから、
 阿弥陀仏に救われたならば、
 非常に大きな喜びが起きるということです。

その喜びを親鸞聖人は
「広大難思の慶心」とか、
 「大慶喜」とおっしゃって、
 「広かったぞ、大きかったぞ、想像もできない喜びだぞ」
と叫んでおられます。

「悟忍」とは仏智をさとらせて頂いた心です。

「悟」とは迷いに対する言葉で、
 迷っていた時は、知らなかったことが、
 「知らなんだ、知らなんだ」と知らされます。
 「こんなこととは知らなんだ、知らなんだ」と
阿弥陀仏に救われるまで知らなかったことを、
 知らなんだ知らなんだと知らされます。

「信忍」とは、
 疑いの心がツユチリ程もなくなった心です。


喜忍─大きなよろこびの心
 悟忍─仏智を悟らせていただいた心
 信忍─ツユチリ程の疑心も
   なくなった心
疑いと言っても、
 「疑煩悩」と言われる疑いと、
 「疑情」と言われるものと、二つあります。

「疑煩悩」とは、人や物を疑う心です。
 「あの人は約束どおりに金を返してくれるだろうか」とか、
 「これはニセのダイヤではなかろうか」などと疑う心で、
これは死ぬまでなくなりません。

「疑情」とは、「本当に助けて下さるのだろうか」
 「ひょっとしたら、地獄へ堕ちるのではなかろうか」
と、弥陀の本願を疑っている心です。
この疑心は、弥陀に救い摂られた一念で無くなります。

疑煩悩─人やものを疑う心、
     死ぬまでなくならぬ。
 疑情──本願を疑う心で、
     無明の闇とも言われ、
     一念でなくなる。

「信忍」とは、
この疑情がツユチリほども無くなった心を言います。
 弥陀の本願まことであったと
 ツユチリほどの疑いがなくなります。

阿弥陀仏に救われたかどうか、
 疑いが晴れたか、晴れていないか、
これ一つで決まることを
「信疑決判」といいます。

このように、阿弥陀仏に救い摂られると、
どんな人でも韋提希夫人と同じく
「喜忍」「悟忍」「信忍」の三つの心を頂くことを、
 親鸞聖人は、
 「韋提と等しく三忍を獲る」
と教えておられるのです。

では、この世で三忍を頂いた人は、
 死んだらどうなるのでしょうか?
 
法性の常楽を証せしむ

次に、
 「即ち、法性の常楽を証せしむ」
と言われている「即ち」とは、
 「船に乗れば即ち、彼の岸に着く」
というときの「即ち」で、
やがて必ずそうなる、ということです。

「法性の常楽」とは、弥陀同体のさとり、
 「証せしむ」とは、
 開かせて頂くということです。

ですから
「韋提と等しく三忍を獲、即ち法性の常楽を証せしむ」とは、
 「この世、一念で阿弥陀仏に救い摂られたならば、
 韋提希夫人と等しく喜悟信の三忍を獲て、
 死後は必ず弥陀の浄土へ往って、
 弥陀と同じ仏のさとりを開くことができるのだよ」
とおっしゃった、親鸞聖人のお言葉です。

源信広開一代教 偏帰安養勧一切

源信広開一代教  (源信広く一代の教えを開きて) 
偏帰安養勧一切  (偏に安養に帰して一切を勧む) 

目次
•源信僧都は幼い頃どんな方だったの?
•比叡山時代
•すべての人が救われる唯一の道とは
•後世に大きな影響を与えた「往生要集」
•源信広く一代の教えを開きて
 
源信僧都は幼い頃どんな方だったの?

「源信」とは、約千年前の日本の人で、
 有名な『往生要集』を書かれた源信僧都のことです。

 親鸞聖人は、この源信僧都を、
 七高僧の六番目に挙げて、
「源信僧都のお導きがあったなればこそ、親鸞は、
 弥陀に救われることができたのだ」
と、ほめたたえておられます。

 源信僧都は、平安時代の中頃に、
 大和の国(現在の奈良県)に生まれられ、
 幼名を千菊丸といいました。

 千菊丸、七歳の時のことです。
 一人の旅の僧が、村に托鉢に訪れました。
 昼になり、川原の土手に腰を下ろして、弁当を食べ始めました。
いつの間にか、周囲に村の子供たちが集まり、
 物欲しそうなまなざしで、僧を見つめています。

 子供たちの格好はいかにも貧乏そうで、
ボロ着に荒縄の腰ひも、
 髪の毛は汚れて乱れたまま無造作にもとどりを
結わえてあります。
 浅黒い顔に鼻汁を垂れている者もあります。
 中に一人だけ、鼻筋の通った、
いかにも利発そうな子がいるのに気づきました。
 千菊丸です。
やがて食事を終えた僧侶は、川原で弁当箱を洗い始めました。
 前日からの雨で、水が濁っています。
 構わず洗っていると、千菊丸が近づいて言いました。
「お坊さん、こんなに濁った水で洗ったら、汚いよ」
わずか六、七歳の子供に、もっともらしく注意されて、
「何を生意気な」
と内心思いましたが、あらわにするのも大人げない。
 平静を装ってこうさとします。
「坊や、浄穢不二ということを知ってるかい。
 世の中には、きれいなものも、穢いものも、ないのじゃよ。
それを、これは浄い、これは穢いと差別しているのは、人間の迷いじゃ。
 仏のまなこからご覧になれば、きれいも穢いも、二つのことではない、
 浄穢不二なのだよ」
そう聞いて千菊丸、即座に反問しました。
「浄穢不二なら、なぜ弁当箱を洗うの?」
 当意即妙とはこのことでしょう。
 僧侶は二の句が継げず、あぜんとしました。
”このこざかしい小僧!”
わずか七つの子供に、自分が持ち出した仏語を逆手にとられ、
 何とも気持ちがおさまりません。
 一方、千菊丸は何事もなかったかのように、
すぐに川原へ行っては、ほかの子供たちと石投げをして遊んでいる。
”あんな子供に!”
何とか一矢報いてやらねば立ち去れません。
”よし、これだ”
と一策思いついた僧は、無邪気に戯れている千菊丸に近づいていきました。
「おい坊や、おまえさんは、大層利口そうだが、十まで数えられるかい」
 「うん、数えられるよ、お坊さん」
 「そうかい、それなら数えてごらん」
 「いいよ、一ツ、二ツ、……九ツ、十」
 僧侶はわざわざ十まで数えさせてから、
「坊や、今おかしな数え方をしたな。一ツ、二ツと皆、ツをつけて
 いたのに、どうして十のときだけ十ツと言わんのじゃ」
と、底意地の悪い質問をしました。
”どうじゃ、今度は答えられんじゃろ”
と内心ほくそえんだ次の瞬間、
「そりゃ坊さん、五ツの説きに、イツツとツを一つ余分に使ったから、
 十のときに足りなくなったんだよ」
”なんと……”
またしても完敗です。
あまりにも鮮やかな反撃に、もはや憎らしいの思いは失せていました。
”惜しい。こんな優れた子を田舎においておくのは。
 出家させたらどれほどの人物になるやも知れぬ”
と、すっかり千菊丸の才気に惚れ込んでしまった僧侶は、
「そなたは大層賢いのお。
ご両親にお会いして、ぜひとも頼みたいことがある。
 案内してもらえんか」
すでに千菊丸に父はいないというので、
 村はずれのあばら家に母親を訪ね、懇願しました。
 「私は比叡山で天台宗の修行をする者。
 今日たまたま会ったお子さんの、あまりにも利発なことに驚きました。
 失礼ながら、これほどの才能を田舎に埋もれさせてしまうのは、
いかにも惜しくてなりません。
どうか私に預けては下されませんか。
 出家の身となられれば、さぞや立派な僧侶となられることでしょう」
 結果、千菊丸は、その僧侶の師・良源の弟子になる決心をして、
 九歳の時に、比叡山に入りました。以来、閑静な仏教の聖地・叡山にて、
 千菊丸、後の源信は、一心不乱に天台教学の研鑚に励まれるのです。


比叡山時代
元来、才知卓抜な源信が、よき環境に包まれて学問修行を続けたのですから、
その上達ぶりはめざましく、全国から俊秀が結集した叡山においても、
なお頭角を現し、15歳の頃には、叡山三千坊ーに傑出した僧侶として、
 源信の名を知らぬ者はいないほどにまでなりました。

そのころ、時の村上天皇から叡山に勅使が下り、
 「学識優れた僧侶を内裏に招いて、講釈を聞きたい」
という天皇の意志を伝えてきました。
 当時の仏教界は、国家権力の手厚い保護のもとに
発展を約束されていましたから、
 天皇の機嫌はそのまま叡山盛衰の動向に連なっていました。
そのため、派遣すべき僧侶の人選は慎重を極めましたが、
一山の首脳の衆議の結果、白羽の矢が立ったのが、源信でした。
 源信は光栄に感激しつつ、全山の期待を担って村上天皇の元に赴きました。

そして群臣百官の居並ぶ前で堂々と、
 『称讃浄土教』(『阿弥陀経』の異訳本)を講説したのです。
 年若い源信の、豊かな才覚と巧みな弁舌に感嘆した村上天皇は、
「見ればまだ若いが、そなたはいくつか」
と尋ねたが、15と聞いてさらに驚嘆しました。
 褒美として、七重の御衣や金銀装飾の香炉箱など、多くの物を与えられ、
さらに「僧都」という高位の称号を受けられたのです。

 使命をまっとうして帰山する源信に、
 叡山は惜しみない賛辞を送りました。
 一躍僧都となり、天下に名声を博した源信の喜びと得意は、
 察するに余りありましょう。

 母を思う源信は、自身の出世をどんなにか喜んでくださるに違いないと、
さっそく、事の始終を手紙にしたため、褒美の品々とともに郷里へ送りました。
ところが、しばらくして荷物が、封も切られぬまま突き返されてきました。
しかも、添えられた母の歌は、実に意外でありました。

後の世を 渡す橋ぞと 思いしに
世渡る僧と なるぞ悲しき

源信は、母の心が瞬時に分かりました。
「おまえを仏門に入らせたのは、苦悩の人々に、後生救われる道を
伝える僧侶になってもらいたい。それ一つのためでした。
ところが今のおまえはどうでしょう。名利を求め、処世の道具に
仏法を使うとは、何と浅間しい坊主に成りはててしまったことか。
 天皇とて仏のまなこからご覧になれば、迷いの衆生。
そんな者にほめられて有頂天になっているとは情けない限りです。
なぜに仏にほめられる身にこそ、なろうとしないのですか」

 浮かれる心を見透かされた母君の、恐ろしいまでの叱責に、
 迷夢から覚める思いでありました。
 道を踏み外したわが子を悲しまれる徹骨の慈愛に、
 翻然として己の非をさとった源信は、
たちどころに褒美の品々を焼却し、僧都の位をも返上したのです。
 名利を求める心を固くいましめて、
 決意新たに後生の一大事、解決を求めました。

いつの世も、子供の社会的な成功を願い、
 実現して家や車をプレゼントされようものなら、
 泣いて喜ぶ親が多いのではないでしょうか。
 出世を誇るわが子を、心を鬼にして叱りつけた母。
その母心に敏感に猛省した源信。いずにも驚かずにおれません。
「この母にして、この子あり」
とは、これを言うのでしょう。
 
すべての人が救われる唯一の道とは
死に物狂いで魂の解決に向かった源信が、
峻烈な修行を重ねるほど思い知らされてくることは、
その厳しさをうぬぼれる恐ろしい心、
 煮ても焼いても食えぬ、お粗末な自己の本性でありました。

 身につけた天台の教学は、良源門下三千人の中でも他の追随を許さず、
 主な聖教は暗誦するほどでありましたが、
 学問を究めるほど、その深さをひそかに誇るという有り様。
 捨てたはずの名利の心は、少しもやむことがなかった。
 無常迅速のわが身、悪業煩悩の自己、理においては充分すぎるほど
分かっていながら、本心においては少しも後生の一大事に驚く心がない。
 愚かというか、アホというか、迫りくる一大事を前にしてなお、
 仏法を聞こうという心を持ち合わせていない。
その悪を懺悔する心もない。
こうなればただの悪人ではなく、極重の悪人というべきか。
道心堅固な聖者には進みえても、
 私のような頑魯(頑固で愚か)の者には、
とても後生の解決は達せられない。
どうすればよいのか。
ついに源信僧都は、叡山北方の森厳たる谷間の地、
 横川の草庵にこもって、
 極重悪人の救われる道を、求めるようになったのです。
 横川の草庵においても、源信の煩悶の日々は続きました。
 来る日も来る日も、寝食忘れて経典やお聖教をひもとき、
 一大事の解決の道を求めました。
やがて歳月は容赦なく流れ、40歳を過ぎたころ、
たまたま目にした中国の善導大師の著書に、深い感銘を受けます。
 大師のご指南にしたがって、
阿弥陀仏の本願こそが、万人の救われる唯一の道であることが知らされ、
ついに、弥陀の誓願不思議に救い摂られたのです。

 
後世に大きな影響を与えた「往生要集」
母にもこの真実伝えたい。
すぐさま故郷の大和国を目指して旅立ちました。
ところが、すでに母は年老いて病床の身となって、
 明日をも知れない容態でした。

 使いの者より母の病状を知り、夜を日に継いで家路を急ぎました。
ようやく30年ぶりのわがへたどり着いた源信僧都は、
 今まさに臨終を迎えようとしている母に、精魂込めて説法します。
 「母上、どうかお聞きください。
 後生救われる道は、本師本仏の阿弥陀仏に一心に帰命するよりほか、
ないのです。
 後生くらい心をぶち破ってくださる仏は、阿弥陀仏しかましまさぬのです」
やがて母君も、弥陀の本願を喜ぶ身となり、
 浄土往生の本懐を遂げたといわれています。

 源信僧都は、母の往生に万感極まり、こう述懐されています。

我来たらずんば、恐らくかくの如くならざらん。
ああ、我をして行をみがかしむる者は母なり。
 母をして解脱(後生の一大事の解決)を
得しめる者は我なり。
この母とこの子と、互いに善友となる。
これ宿契(遠い過去世からの不思議な因縁)なり。

母の野辺送りのあと僧都は、横川の草庵に帰り、
母の往生を記念して一冊の書物を著されました。
 世に有名な『往生要集』です。
 以後、源信僧都は『往生要集』とともに浄土仏教の大先達として、
 後世にも多大な影響を与え、76歳にして生涯を閉じられたのです。

 
源信広く一代の教えを開きて
 その源信僧都を親鸞聖人は、
「源信僧都のお導きがあったなればこそ、
 親鸞は、弥陀に救われることができたのだ」
と、ほめたたえておられるのが

源信広開一代教
 偏帰安養勧一切
のお言葉です。

 「源信」とは、源信僧都のこと。
 「広く」とは「徹底的に」ということです。

 「一代の教」とは、今から2600年前、
インドに現れたお釈迦様が、
 80歳でお亡くなりになられるまで教えてゆかれた、
 釈迦一代の教え、今日の仏教のことです。

 釈迦一代の教えは、すべて書き残され、
その数は七千冊以上にのぼり、一切経と言われています。

 源信僧都は、その七千余冊の一切経を幾たびも読み破られ、
 「後生の一大事の解決できる教えが、どこかに説かれてないか」
と、必死に探し求められたことを、
「源信広く一代の教を開きて」
と、言われています。

その結果、
「極悪の源信の救われる道は、偏に安養に帰する以外に無かった」
と知らされたことを
「遍に安養に帰して」
と仰っているのです。
 「安養」とは、阿弥陀仏のことですから、
 「遍に安養に帰す」とは、
 「私の後生の一大事を助けたもう仏は、ただ弥陀一仏しかなかった」
と言われています。

すでにお釈迦様は、
 「無量寿仏に一向専念せよ」
と仰っています。
 「無量寿仏」とは、阿弥陀仏のことですから、
 「弥陀一仏に向き、弥陀のみを信じよ。
その他にすべての人の救われる道はないのだ」
と言われているのです。
この釈迦のご金言どおり、源信が弥陀に救い摂られたことを、
「源信、偏に安養に帰して」
と言われているのです。

 次の、
 「一切を勧む」
とは、それから源信僧都がこの真実の教えを、
 「一切の人々に、皆さんも、偏に弥陀一仏を信じなさいよ」
と、終生、教え勧めてゆかれたことを、親鸞聖人は、
 「偏に安養に帰して、一切を勧む」
と言われているのです。

専雑執心判浅深 報化二土正弁立

専雑執心判浅深  (専・雑の執心に浅・深を判じ) 
報化二土正弁立  (報・化二土まさしく弁立したまう) 

目次
•専・雑の執心に浅・深を判じ
•報・化二土まさしく弁立したまう
•ハッキリ救われたなんていうことあるの?
•化土へ往けるの?
 
専・雑の執心に浅・深を判じ

これは源信僧都のお言葉です。

「専・雑の執心に浅・深を判じ」とは、
 「執心」とは、信心のことです。
 「専」とは、他力。
 「雑」とは、自力。

「雑」は自力に決まっていますが、
 「専」と書いてあったら他力とは限らず、
 自力の場合と他力の場合があります。

この場合の専は他力です。
ですから、他力の信心と自力の信心の浅深を判じ、
ということです。

「自力の信心」というのは、
 一念で阿弥陀仏に救われるまでの信心を
自力の信心と言い、
 一念で絶対の幸福に救い摂られた信心を
「他力の信心」と言います。

ということは、専雑の執心が
一念で分かれるということです。

「浅深」とは、「浅い」と「深い」ということで、
 「判じ」とは、
 水際立ててハッキリ教えられたということです。

ですから、
 「専雑の執心に、浅深を判じ」とは、
「自力の信心と他力の信心の違いを、水際立てて教えられた」
ということです。

そして、深い他力の信心を
獲るところまで進みなさいよ
 と教えられています。
 
報・化二土まさしく弁立したまう

次に、「報化二土正弁立」というのは、
 他力の信心を獲た人は、
 弥陀の「報土」へ往けるが、
 自力の信心の人は、
 「化土」へしか往けませんよ、
ということです。

「報化二土」とは、
 「報土」と「化土」ということです。

「報土」とは阿弥陀仏のお浄土
 「化土」とは浄土の近辺、片田舎のことです。

「正しく弁立したまう」とは、
この「報土」と「化土」の違いを、
 「ハッキリと分けて教えられている」
ということです。

自力の信心と他力の信心の違いを明らかにせられ、
その信心の結果の違いも「報土」と、
 「化土」と、鮮明に教えられた
 というのが、
 「専雑執心判浅深 報化二土正弁立」の
『正信偈』のお言葉の意味です。
 
ハッキリ救われたなんていうことあるの?

よく
「ハッキリ救われたなんていうことあるのか」
という人がありますが、

 源信僧都は、自力の信心はこうだぞ。
 他力の信心をえて救われたらこうだぞ。
ハッキリ水際立てて教えられています。
 

化土へ往けるの?

他力の信心をえた人は報土往生間違いありませんが、
そこまでは色々な人があり、みんな自力の信心の人です。

そういう人は化土へゆけますよといわれて
一生懸命善をやっていても、
それにも色々あって、
 一通りや二通りではありません。

ちょうど、金持ちにも色々違いがあるようなものです。
 千円貯金を持っている人、
 1万円持っている人
 100万円持っている人など色々あって、
この人たちは、同じ人ではありません。

中に借金持っている人もありますし、
マイナスでなかったとしても、
プラスにも色々あります。

善いたねまけば、善い結果が来るのは
因果の道理、間違いありませんが、
 化土へ行けるほど善をやっている人、
 念仏称えている人は化土へゆけますが、
悪しか造っていない人は、化土へは往けません。

結局、化土へ往けるかどうかは臨終、死ぬまで分かりません。
ところが、親鸞聖人の教えは、生きているとき、
 一念でいつ死んでも極楽参り間違いなしの
絶対の幸福に助かってしまいますので、
 臨終には用事がありません。

ですから親鸞聖人は、生きているときに、
 他力の信心を獲るところまで進みなさいよ
 と教えられています。
 源信僧都が、自力の信心と他力の信心をハッキリ分けて
教えられたことを称讃されて、
 私たちにも知らせたかった所は、
ハッキリ水際立つということです。

そこまで進みなさいと教えられ、
その水際をハッキリ教えられたのは源信僧都だったと、
 正信偈にほめたたえておられます。

極重悪人唯称仏
我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見
大悲無倦常照我

本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 真宗教証興片州 選択本願弘悪世

本師源空明仏教  (本師源空は仏教に明らかにして) 
憐愍善悪凡夫人  (善・悪の凡夫人を憐愍し) 
真宗教証興片州  (真宗の教・証を片州に興し) 
選択本願弘悪世  (選択本願を悪世に弘めたまう) 

目次
•本師源空は仏教に明らかにして
•善・悪の凡夫人を憐愍し
•真宗の教・証を片州に興し
•選択本願を悪世に弘めたまう
 
本師源空は仏教に明らかにして

本師源空明仏教とは、
 「本師源空は仏教に明らかにして」と読みます。

「源空」とは、法然上人のことです。

「本師」は、正信偈で
親鸞聖人は、七高僧の中、
 源空上人と、曇鸞大師につけておられます。

それは源空、法然上人が、
 親鸞聖人にとっては、
 生きた善知識ということです。

法然上人は、当時、各宗派が連携して、
 大原に出てくるようにと、果たし状を突きつけられました。
すると法然上人は、身の回りの世話のための
少数のお弟子だけ引き連れて、
 日本のトップレベルの学者、380余人、
 有象無象も合わせれば、2000人の待ち受ける
大原に出向かれました。

そこで法然上人は、歴史的な大法論である
大原問答をせられ、各宗の学者を
 たった一人で打ち破られ、
 意気揚々と引き上げて行かれました。

仏教史上、そんな法論はありませんでしたので、
 法然上人は、
 「智慧第一の法然房」とか
「勢至菩薩の化身」と言われ、
 当時、日本一の仏教の大学者でした。

また、法然上人の書かれた
『選択本願念仏集』は
当時の仏教界に大変な衝撃を与えています。

そんなことから、親鸞聖人は、
 「私の先生は、非常にに仏教に明るかった」
 「大学者であった」
と称讃されているのが、
 「本師源空は仏教に明らかにして」
  ということです。
 
善・悪の凡夫人を憐愍し

次に「善悪の凡夫人」とは、
それまでの仏教は、すべてを捨てて山に入れる
 ごく一部の者だけしか助からないという、
 一般の人とは無縁の教えのように
思われていました。

ところが法然上人は、
 一部の人だけ救いの対象なら、本当の仏教でないと、
 「山上の仏教」を山から下ろして、
 普通の庶民でも、
ありのままの姿で救われるのが
真の仏教であることを明らかにされました。

それで親鸞聖人は、
 「善悪の凡夫人を憐愍して」
と、その法然上人の功績を
 たたえておられるのです。
 
真宗の教・証を片州に興し

次に、「真宗の教・証を片州に興し」とは、
 「片州」とは、日本のことです。

「真宗」とは、真実の教えであり、
 「教」とは教え、
 「証」とは救いのことです。

真実の教えとは阿弥陀仏の本願ですから、
 阿弥陀仏の本願を日本に広められたということです。
 
選択本願を悪世に弘めたまう

次の、
 「選択本願を悪世に弘めたもう」
といわれている「選択本願」も、
 「阿弥陀仏の本願」のことです。

今日のような、親が子を殺し、子が親を殺す。
 苦しみ悩んでいる人の世は、みな「悪世」ですから、
 「法然上人は、苦しみ悩みの充満する悪世の日本に、
 弥陀の本願を徹底して開顕してくだされたなればこそ
 この親鸞、今こんな幸せな身に救い摂られることができたのだ」
と、法然上人の御恩に感泣なされているお言葉が、
 本師源空は仏教に明らかにして
善・悪の凡夫人を憐愍し
真宗の教・証を片州に興し
選択本願を悪世に弘めたまう
 という『正信偈』のお言葉です。

還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入

還来生死輪転家  (「生死輪転の家に還来することは) 
決以疑情為所止  (決するに疑情を以て所止と為す) 
速入寂静無為楽  (速やかに寂静無為の
       楽に入ることは)
必以信心為能入  (必ず信心を以て能入と為す」
            といえり) 

目次
•法然上人の教えの最も大事な所とは?
•すべての人は苦しみから離れきれない
•苦しみの世界とは?
•苦しみの世界に還来する原因は?
•未来永遠の幸福になるには?
 
法然上人の教えの最も大事な所とは?

これは
「『生死輪転の家に還来することは、
   決するに疑情を以て所止と為す、
   速やかに寂静無為の楽に入ることは、
   必ず信心を以て能入と為す』といえり」
と読みます。

親鸞聖人が、非常に尊敬しておられる
師・法然上人の、主著『選択本願念仏集』の
最も大事な所を教えられたお言葉です。
 
すべての人は苦しみから離れきれない

まず「生死」とは、
 生きているものが死ぬ、
ということです。

色々の苦しみがあっても、
 死ぬほど苦しいことはないと言われますように、
 生きているものが死ぬ、ということは、
 苦しみの中で一番ですから、
 「生死」とは、仏教で苦しみということです。

「輪転」とは車の輪が回る、ということで、
 果てしのないことです。
きりがない、
きわもない、
 限りがない、
これで終わったということがない、
 無限ということです。

ですから「生死輪転」とは、
 苦しみが際限なく、次から次とやってくる。
これで苦しまなくなったということがない、
ということです。

「家」とは、離れられないということです。
 雨露をしのぐ所が家ですが、
 私たちは家を離れて生きてはいけません。
 離れられないところを家と表現されています。

「生死輪転の家」とは
苦しみが、次から次とやってきて、
 私たちはその苦しみから離れることできない、
ということです。

どれだけ政治が変わっても、
どれだけ経済が豊かになっても、
どれだけ科学が発展しても、医学が進歩しても
心からの安心も満足もないのが、人間の現実です。

苦しみ悩みが次から次とやってきて、
すべての人は苦しみから
離れることはできないのだ、
ということです。

次の「還来」とは、行ったり来たり、
ということです。

ですから、「生死輪転の家に還来する」とは、
どんなに政治や経済、科学や医学が変わっても、
 苦しみの世界を行ったり来たり、
 苦しみから離れることはできない有様をいわれています。
 
苦しみの世界とは?

これを厳格にいいますと、
 「生死輪転の家」とは苦しみの世界ということで、
 仏教では、大きく分けると6つ、教えられています。

一番苦しみの激しい世界を地獄。
 次に苦しい世界を餓鬼道、
その次を畜生界といいます。

その次に、修羅界、人間界、天上界とあります。

地獄 修羅
 餓鬼 人間
 畜生 天上

これを「六道」または「六界」といいます。
いずれも迷いの世界です。

これら6つの迷いの世界から離れられないことを
家と言われています。

私たちは今は人間に生まれていますが、
 死ねばどこか次の世界に生まれ、やがて死にます。
するとまた次の世界に生まれ、やがて死にます。

生まれては死に、生まれては死に、
この6つの世界をぐるぐるぐるぐる
生まれ変わり、死に変わり、
 生死、生死を繰り返しています。

これを「六道輪廻」といいます。

なぜ私たちは、迷いの世界をぐるぐる回って、
 苦しみから離れきれないかといいますと、
 死んだ後にこういう結果が現れるのは、
 私たちの今の心に原因があります。

何のために生まれてきたのか分からず、
 苦しみが際限なくやってきて、
 「どう生きるか」だけに必死になっています。
 何をやっても、何を手に入れても、虚しさから離れられず、

最後まで苦しみながら死んで行かなければなりません。
これでは、苦しむために生まれ、
 生きているようなものでしょう。

こんな心で、死ねば苦しみの世界を行ったり来たり、
 六道輪廻を繰り返しているのです。

ではこのように、生死輪転の家に還来しないようにするには
 どうすればいいのでしょうか。
 
苦しみの世界に還来する原因は?

この苦しみの世界に還来する原因を、
 法然上人は、
 「決するに疑情を以て所止と為す」
と教えられています。

「決するに」とは、
 「決」は
「決定」「決まる」の決ですから、
 「決するには」とは、二つも三つもない、これ一つ、ということ。
 生死輪転の家に還来する原因は、
ただ一つなんだ、ということです。

それは何かといいますと、
 「疑情をもって所止と為す」。
 「所止と為す」とはとどまるところとなす、
ということですから、
 私たちが生死輪転する原因は、
 疑情一つなんだということです。

「疑情」とは何かといいますと、
 「阿弥陀仏の本願を疑う心」です。

大宇宙最高の仏さまであり、
 十方諸仏の本師本仏である阿弥陀如来は、
 「すべての人を必ず絶対の幸福に救い摂り、真実の浄土に生まれさせる」
と約束なさっています。これを阿弥陀仏の本願といいます。

すべての人が苦しみから離れきれない原因は、
 疑情一つ。
この弥陀の本願を疑っているからなのだ。

これがすべての人の苦悩の根元なんだと
法然上人が教えられ、
 親鸞聖人も、その通りだ、間違いないと
正信偈に引用されているのです。

だから、人間に生まれてきた目的は、
この苦悩の根元である疑情を破っていただき、
 苦しみをなくして永遠の幸せになることなんだ、
だからはやく疑情をはらしていただきなさい
 と教えられているのが次のお言葉です。
 
未来永遠の幸福になるには?

「『速やかに寂静無為の楽に入ることは、
 必ず信心を以て能入と為す』といえり」とは、


「信心」とは、疑情(弥陀の本願に対する疑い)のなくなったことを
「信心」といわれています。

「速やかに」とは死ぬと同時に、
 「寂静無為の楽」とは阿弥陀仏の極楽浄土のことですから、
 「速やかに寂静無為の楽に入ることは」とは、
 死ぬと同時に弥陀の浄土へ往くには、
ということです。

「必ず信心を以て能入と為す」の
「能入」とは、入ることができる
 ということですから、
 阿弥陀仏の極楽浄土に入るときには
必ず要るものがある、ということです。

それが
「必ず信心を以て」と言われている
「信心」です。
 信心がなければ、
 極楽浄土に往くことはできません。

「必ず」ですから、
あってもよい、
なくてもよい、
ということではありません。
 必ず要る、必要なのです。

信心がなければ、絶対に極楽には往けませんよ、
ということです。

「信心」といいましても、
 阿弥陀仏を疑わないように信じるとか、
すでに救われていることに気づく、
ということではありません。
 疑情が破れたことを信心といいます。

ですから、死んで阿弥陀仏の極楽浄土に往くには、
 弥陀の本願に対する疑いが、浄尽しなければ、
かないませんよ、
ということです。

最後の「いえり」とは、
 法然上人がそう言われている、
ということです。

法然上人は、
 全人類の苦悩の根元は疑情(本願に対する疑い)であると明らかにされ、
 疑情さえなくなれば、
 二度と迷わぬ身となって、
この世から未来永遠の幸せになれるのだから、
はやく疑情を晴らしていただきなさい、
と教えられているのです。

それを親鸞聖人は、
まったく先生のおっしゃる通りだった。
 我が師・法然上人のすばらしさは、
 全人類の苦しんでいる本当の原因を
明らかにされたところにあるんだと
 その偉大さをほめたたえておられるお言葉です。

これは、親鸞聖人のみならず、
 私たち全人類がどれだけほめたたえても、
 過ぎるということがない、
 法然上人の偉大なお手柄なのです。

弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪

弘経大士宗師等  (弘経の大士・宗師等) 
拯済無辺極濁悪  (無辺の極濁悪を拯済したまう) 

目次
•弥陀の本願を正確に伝えてくだされた七高僧方
•弥陀の本願とは?
•七高僧方のご苦労は、何のため
 
弥陀の本願を伝えてくだされた七高僧方

『正信偈』冒頭の二行に、

帰命無量寿如来
 南無不可思議光

「阿弥陀如来に親鸞、救われたぞ、
 「阿弥陀如来に親鸞、助けられたぞ」
と聖人は、絶対の幸福に救い摂られた自らの体験を、
 叫びあげられています。


二回同じことを繰り返されているのは、
 何度書いても書き足りない喜び、
どれだけ言っても言い足りない満足を表しておられるのです。


続いて、

法蔵菩薩因位時
  ~乃至~
  必至滅度願成就


と言われているのは、
 救いたもうた阿弥陀如来の偉大な本願力を、
 絶賛なされているところです。


そして、
 「その弥陀の本願以外に、釈迦の説かれたことはなかったのだ」
と断言されているのが、次の二行、


如来所以興出世
 唯説弥陀本願海

如来世に興出したもう所以は、
 唯弥陀の本願海を説かんとなり
 です。

それから、
「釈迦が、どんなすごい弥陀の本願を説かれていても、
 伝える人がなかったら、親鸞、救われることはなかったに違いない」
と、インド、中国、日本の高僧方の教えを順次紹介され、
 功績をたたえておられるのです。
その方々を七高僧といいます。


七高僧
 (1)龍樹菩薩
 (2)天親菩薩   インド
(3)曇鸞大師
 (4)道綽禅師   中国
 (5)善導大師
 (6)源信僧都   日本
 (7)法然上人


このように、
インドでは龍樹菩薩・天親菩薩のお二人、
 中国では曇鸞大師・道綽禅師・善導大師らのお三方、
 日本の源信僧都・法然(源空)上人、
あわせて七人の高僧方。
「これらの方々が、大変なご苦労をなされて、
 弥陀の本願を親鸞まで正しく伝えてくだされたなればこそ、
 絶対の幸福に救い摂られることができたのだ。
 喜ばずにおれない」
と聖人は厚恩に感泣され、その七高僧方のことを最後にまとめて
「弘経の大士・宗師等」
と言われているのです。

 
弥陀の本願とは?

「弘経の大士・宗師等」
の「弘経」とは、「仏教を広められた」ということ。
仏教と言いましても、釈迦の説かれたことは唯一つ、
 「阿弥陀如来の本願」以外にありません。


「阿弥陀如来の本願」とは、

我を信じよ
 どんな極悪人をも
必ず助ける
絶対の幸福に

という、本師本仏の尊いお約束のことです。


私たちは何を「幸福」と信じ、朝夕追い求めているでしょうか。
 「世の中、ゼニや」と、金命の人もある。
 「国会議員になりたい」
 「文化勲章が欲しい」と、
 社会的地位や名声を得るために必死の努力をしている人、
 「健康第一」
 「家族がすべて」
という人もあります。
 人生いろいろですが、みんな安心したい、満足したい。
 幸福を求めて生きているのです。


しかし、金が儲かった喜びや、
 選挙当選の感激、
 新婚の幸せ気分も、いつまで続くでしょう。

やがて色あせ、夢幻のごとくではないでしょうか。
 送迎車内に放置された二歳の園児が、熱射病で死亡する事件が
起きました。愛児を失った悲しみは想像に余りあります。
 団らんの家族も、事故や災害で、
 「まさかこんなことになるとは……」
と、一瞬で転落する現実は、毎日報じられている通りです。


かりそめの幸福しか知らない私たちを深く哀れんで、
 決して見捨てはしない、我に任せよ、
 絶対に壊れない幸せにしてみせる、
 苦悩渦巻く人生のままが
光明輝く絶対の幸福に救い摂ってみせるぞ、
と誓われているお約束が、
 阿弥陀如来の本願なのです。


こんなすばらしい誓願は、
 大宇宙に数えきれないほど仏方はましませども、
 本師本仏の阿弥陀如来しか建立することはできませんから、
親鸞聖人は、
 『正信偈』に
「無上殊勝の願」とか
「希有の大弘誓」 と絶賛されているのです。

 
七高僧方のご苦労は、何のため

その「弥陀の本願」を、
 正確に伝えてくだされた七高僧方のことを
「弘経の大士・宗師等」
と言われ、それは、
 「無辺の極濁悪を、拯済する」
ためであったのだと、次におっしゃっています。

「拯済」とは、「救う」こと。
 「弥陀の救いに導く」ことです。

どんな人を導くためかといいますと、
 「無辺の極濁悪」を、と言われています。
 「無辺」とは、数限りもない。
 「極濁悪」とは、「極めて汚れた、悪に染まった極悪人」
ということですが、これはどんな人のことでしょう。

幼児を誘拐して殺害した男や、子供に保険金をかけて
殺す親のことでしょうか。
いいえ、そんな人ばかりではありません。
 親鸞聖人が、
 「古今の全人類は、一生造悪の極悪人である」
と教えておられるように、
 「無辺の極濁悪」とは、「すべての人」のことであり、
この中に入らない人は一人もいないのです。


その極悪の私たちを、弥陀の救いにあわせるために、
 龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、法然上人が
「弥陀の本願」を正しく伝えてくだされた。
七高僧方の命懸けのご苦労は、
 古今東西のすべての人を助けるためであったのだよ
 と、その大活躍を讃えておられるお言葉が、


「弘経大士宗師等」 (弘経の大士・宗師等)
 「拯済無辺極濁悪」 (無辺の極濁悪を拯済したまう)

の二行です。同時にこれは、
 「極悪人の親玉が、親鸞であった」
と照らし抜かれた聖人が、
 「弥陀五劫思惟の願は、親鸞一人がためなりけれ」
と救い摂られて、
 「七高僧方が、身命を賭して弥陀の本願を布教されたのは、
 極悪の親鸞一人を助けるためであった。
そのご苦労なかりせば親鸞、
この身に救い摂られることはなかったであろう、
なんと有り難いことか」
という、限りなき感謝の表明でもあるのです。

”弥陀の本願まことなるかな、
この本願真実ひとつを、釈尊は生涯説かれたのだ、
それは親鸞が独断で言っているのではない、
 七高僧方がみな、教えておられることなのだ”
と聖人は『正信偈』に明らかにされました。

そして最後に、
 「道俗時衆共同心」
 「唯可信斯高僧説」
「人々よ、本当の幸福に救われるには、
ただ、この高僧方の教えを信じてくれよ。
 弥陀の本願に聞きひらけよ。それ以外には、絶対にないのだから」
と勧めておられるのです。

道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説

道俗時衆共同心  (道・俗・時衆、共に同心に) 
唯可信斯高僧説  (唯斯の高僧の説を信ずべし) 

目次
•正信偈の最後、親鸞聖人の呼びかけ
•阿弥陀仏の救いは現在ただ今ハッキリする
•ただ阿弥陀仏の本願、信ずべし
 
正信偈の最後、親鸞聖人の呼びかけ

これは『正信偈』最後の二行です。

道・俗・時衆、共に同心に
唯斯の高僧の説を信ずべし

と読みます。
 「道」とは仏法を説く者、
 「俗」は在家の人、
 「時衆」とは、
そのときどきに集まってきた人たちのこと。

ですから「道俗時衆」で「すべての人」ということです。

「道・俗・時衆、共に同心に」
とは、
 「皆の人よ、どうか、この親鸞と同じ心になってくれよ」
と呼びかけておられるお言葉です。

この、親鸞聖人と同じ心とは、どんな心のことでしょうか。
それは聖人ご自信が、『正信偈』冒頭におっしゃっている、

帰命無量寿如来
 南無不可思議光

と叫ばずにおれない心なのです。
これは、
 「無量寿如来に親鸞、帰命したぞ。
  不可思議光に親鸞、南無したぞ」
と読みます。

”親鸞、とはどこにも書かれてないけど……”
と思われる人もあるかもしれませんが、
これは他人のことではない、
ご自分のことを言われているお言葉ですから、
 当然「親鸞は」ということになります。

そこで、この二行の意味を理解するには、
 四つの仏教の言葉を知って頂かねばなりません。
すなわち
「無量寿如来」と
「不可思議光」、そして
「帰命」
 「南無」
の四つです。

まず、「無量寿如来」「不可思議光」とは、
ともに、本師本仏の阿弥陀如来のこと。


大宇宙の仏方の先生である阿弥陀如来は、
 他の仏にはない、沢山のお力があります。
そのお力に応じて、
 阿弥陀如来はいろいろのお名前を持っておられます。


中でもお釈迦さまが、お経によく使われているのが
「無量寿如来」続いて
「不可思議光」ですから、
 親鸞聖人は『正信偈』の初めに、
 阿弥陀如来のことをこの二つの
 お名前で呼んでおられるのです。

次に、「帰命」と「南無」は、いずれも
「救われた」「助けられた」ということですから、
 二行の意味はこうなります。
「阿弥陀如来に親鸞、救われたぞ」 「阿弥陀如来に親鸞、助けらたれぞ」 大宇宙最高の仏であられる、弥陀に救い摂られた実体験を、
 聖人自ら告白されているお言葉であることがお分かりでしょう。

同じことを二回おっしゃっているのは、
言っても言っても言い尽くせぬ驚き、
 書いても書いても書き足りぬ満足、
 無限に叫ばずにおれない歓喜を表されています。

この冒頭の二行から、次のことがわかります。
○弥陀の救いは、生きている現在である。
○弥陀に救われたら、ハッキリする。

 
阿弥陀仏の救いは現在ただ今ハッキリする

まず、「弥陀の救いは、生きている現在である」とは、 どういうことでしょうか。

聖人が『正信偈』を書かれたのは、
 当然ながら、生きておられる時。
その『正信偈』に、
 「親鸞、弥陀に救われたぞ、助けられたぞ」
と叫ばれているのですから、
「弥陀の救いは、現在ただ今である」
ことは、歴然ではありませんか。
 言葉をかえれば
「弥陀の救いは、決して死後ではない」
ということです。

今日、浄土真宗の門徒といっても、他宗派の人から
「門徒、物知らず」
と揶揄されるように、親鸞聖人の教えは
何にも聞かされていない、といっても過言ではありません。

たまに寺参りしている人があっても、ほとんどの人は、
 「我々凡夫に、この世で救われる、なんてあるはずがない」
とあきらめて、
 「阿弥陀さまはお慈悲な仏さまだから、こんなものを
死んだら極楽に助けてくださる」
と、死後の華降るお浄土ばかりを夢見ています。
 人間がこの世でハッキリ救われるなどとは、
だれも信じられないことだからです。

そんな迷いを打ち砕き、
 「死んだらお助けじゃないぞ、生きている現在の救いだぞ」
と、生涯叫び続けていかれた方が親鸞聖人ですから、
 聖人の教えを漢字四字で「平生業成」といわれるのです。

「平生」とは、死んでからではない、現在ただ今。
 「業」とは「人生の大事業」のことであり、
 「弥陀の救い」にあうことです。
 「成」は「完成する」こと。
 「人生の大事業(弥陀の救い)が、生きている現在、完成する。
  だから早く完成せよ」
  親鸞聖人九十年のメッセージは、これ以外ありませんでした。

そして「弥陀に救われたら、ハッキリする」ことも、
 『正信偈』の初めの二行でわかります。
ハッキリしていないことならば、親鸞聖人のような方が、
 「救われたぞ、助けられたぞ」
とハッキリ書かれるはずがないからです。

そんないい加減なウソをつかれたとなれば、
だれも世界の光とは尊敬しないでしょう。
 親鸞聖人が、同じことを二回も繰り返して、
ハッキリ言われているということは、
 「弥陀の救いはハッキリする」からです。

「そんなハッキリするものではない」とか、
 「ハッキリする人もいるが、しない人もいるんだ」
などというのは皆、間違いです。

ほかにも聖人は、主張『教行信証』の至るところに、
「真に知んぬ」
 「まことなるかなや」


また蓮如上人も『御文章』に、
「今こそ明らかに知られたり」
と宣言されているのも、
 鮮やかな弥陀の救いにあわれた体験を告白されたものです。
救われたら、必ず、ハッキリするのです。
ハッキリしていないのは、まだ救われていないからです。

「弥陀の救いは現在であり、ハッキリする」
ことが分かられたならば、次に知りたいのは、
 「親鸞聖人は、何を救われた、と言われているのか」
でしょう。

一言で言えば、
 「後生の一大事を解決して頂き、
 未来永遠の幸福に救い摂られたこと」です。

その弥陀の絶対の救いにあわれた喜びを、
 『正信偈』冒頭の二行に記された聖人が、最後に
「この親鸞と同じく、絶対の幸福になってくれよ」
と熱望を語られているのが、
 「道・俗・時衆、共に同心に」の
 お言葉なのです。

 
ただ阿弥陀仏の本願、信ずべし

「では親鸞さま、あなたと同じように絶対の幸福に救われるには、
どうすればよいのですか」
とお尋ねすると、次の行にこう答えておられます。
「唯、斯の高僧の説を信ずべし」

「唯」とは、「たった一つ」「これしかない」ということ。
 「斯の高僧」とは、弥陀の救いを正しく伝えてくだされた、
インドの龍樹菩薩・天親菩薩、
 中国では曇鸞大師・道綽禅師・善導大師、
それから仏教は日本に伝わり源信僧都、そして法然上人です。
「これら七高僧の教えを、信じてくれよ」
と親鸞聖人は勧めておられるのです。

七高僧
 (1)龍樹菩薩
 (2)天親菩薩   インド
(3)曇鸞大師
 (4)道綽禅師   中国
 (5)善導大師
 (6)源信僧都   日本
 (7)法然上人


七高僧の教えといいましても、
 「弥陀の本願」以外にはありません。
ですから、
「唯、斯の高僧の説を信ずべし」
とは、
「ただ弥陀の本願を聞信するほかに、助かる道はないのだ」
とおっしゃったお言葉です。

”これは決して、親鸞が勝手に言っているのではない。
あの偉大な七高僧の方々が、
みな口をそろえて教えられていることなんだ。
 弥陀の本願は、時を超え所を超えて不変の真実なのだ。
だからどんな人でも必ず救われる。
どうか、一日も片時も急いで、聞き抜いてもらいたい。
この広大無辺な世界を味わってもらいたい。
これが親鸞の願いなのだ”

『正信偈』120行を書かれた聖人の熱い御心は、
これ以外に何もなかったことも、お分かりになるでしょう。


だから親鸞聖人の最もお喜びになることは、私たち一人一人が
阿弥陀仏の本願を真剣に聞き求め、聖人と同じく絶対の幸福に
救い摂られることなのです。

『正信偈』を体で読み破り、
「人間に生まれたのはこれ一つだった」
と、生命の大歓喜を獲るところまで、
 他力を聞かせていただきましょう。