私のリハビリⅡ

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なぜ「私のリハビリⅡ」ができたか

1、「私のリハビリ」のページの「右膝」のコーナーが終わりそうにない。

右膝の感覚が戻り、動かし方(特に股関節や足首との連携)がわかり、動かせるようになってめでたしめでたしで終わろうと思ったが、もう1年たつのに、まだ夜中ロックが軽くなったが続いている。つまり回復どころか変形性膝関節症的症状が治まらない。今からもいろいろ悩み試していくと思う。旧ページと統合するかは未定だが、2018年以降の右膝状況はこのページで。

2、脳梗塞ページの「転倒記録」は今後も同ページで継続する。

3、現状のまとめは、とりあえず今後の分はこのページに記載。

4、将来、「私の脳梗塞」「私のリハビリ」ページの再構築を行いたい。   2017.12.25

ここまでの回復・再適合状況

竹川病院退院以降、デイサービス・体操教室・ノルディックウォーキングなどいろいろリハビリに取り組んできたのは「私のリハビリ」のページに書いた通り。

 

では、どう回復あるいは衰退したのか。

 

2011.11月~12月 竹川病院通所リハビリ、回復期のラストだが、入院中より歩行の安定感が増しただけで大きな変化はない。竹川病院まで2時間半以内で歩けた。時速3.5㎞。

 

2012.1月~9月 竹川病院まで最速2時間10分。時速ほぼ4㎞。発病後現在に至るまでの最速記録。右足のタイミングが狂い始め、歩き方の改善を試みたが悪くなる一方(自己感覚)。1月はふわりと転んだが、9月は顔面にケガ。加速歩行の最初の発症。

 

2012.10月~2014.10月 加速歩行がだんだん激しくなる。初めのころはたまに加速していたが、2014年にはほぼ歩くたびに加速歩行となり、原則・停止のために電柱が必要となる。また足の各関節が交互にたびたび痛み、長距離の歩行が困難な日が増えた。パーキンソン病症候群として国立埼玉病院受診を決意。なお、歩行の速度は3.5㎞/h、加速歩行時は速くても、物につかまって停止が必要で、疲労もあり、ならせば3.5㎞/hを上回ることはなかった。

 

2014.11月~2015.1月 埼玉病院受診結果は「私の脳梗塞」に書いた通り。受診の意味はほとんどなく、自己診断の正しさを再確認したにとどまり、症状緩和方法などは提示されなかった。

 

2015.2月~2016.1月 加速歩行は継続していたが、だんだんコントロールできるようになっていった。各関節の痛みは、あまり感じなくなった。

 

2016.2月~2016.6月 ほぼ加速歩行しなくなった。このころから都内の公園巡りを始める。加速歩行では都内は歩けない。

 

2016.7月~2016.12月 ノルディック開始。左右のバランス調整ができる。加速歩行はまったくなくなった。歩行の速度は3.5㎞/h、退院以来5年間ほぼ一定。加速歩行の有無とは無関係。ただし、2014年の一時期のように、足の痛みで歩けない時期もあった。

 

2017.1月~2017.12月 右膝のコーナーに書いた通り。一進一退あるいは一進三退。6月18日耳鳴りが始まる。7月初め、歩行速度が急に落ちる。時速2.5㎞。9月、さらに遅くなる。調子の悪いときは時速1.5㎞から1㎞。竹川病院まで、好調時でも3時間30分、好調でなければ4時間越える。

 

2017/12/25 最遅歩行速度、約750m/h。自宅-駅間910mを1時間15分。翌日からはやや回復。

 

 2018/01/04 階段の上り下りが ますますできなくなった。成増菅原神社、赤塚氷川神社、参拝者に手助けしてもらって参拝。赤塚八幡神社、参道の階段、全く使えず、大堂に迂回。

以下 新規

2018/02/09 右膝は思っていたような回復はしない。半年くらいで感覚が戻り、2から3年である程度自在に動かせるようになるのはないかと、痛みがわかり始めた昨年の今頃は思っていた。夜中のロック、激しい痛みが数か月、現在痛みはないが、動かない違和感で夜中数回目覚める。とにかく膝が伸びない。まずこれを伸ばす。何年かかっても伸ばす。

 

2018/03/02 この1か月、良進行。風呂胡坐、順調。右膝外転練習中。腰曲げ練習中。膝、また少し伸ばせるようになった。

 

2018/03/03 本日午前中までは、ここ最近の状況と変わらず、希望的観測でやや上向きかとも思えていた。午前、赤塚梅まつり見物、14時過ぎに帰宅、遅い昼食(赤塚で間食は摂った)、15時半、午後の歩行開始。これが調子よい。ひょっとしたら時速3キロ近くまで復活したのではないか。明日が楽しみ。

 

2018/03/08 上に記した回復は、いつもの好不調の波から、大きく外れるものではなかった。いったん3㎞/hになったが、また2㎞に戻ってしまった。もう一段の大波を期待。

 

2018/03/10 少しは回復するのだろうか?右股関節が痛く、歩行中に数度立ち止まる。夜中に痛くなり、数日控えていたケトプロフェン貼付。足を伸ばして寝れない。

 

2018/03/29 この20日間かなりの回復。外見は変わらないが、右膝伸び順調。昨晩は1年2か月ぶりに就寝中の膝ロックなし。違和感はあり数度目覚めたが、もう癖になったのかもしれない。

 

2018/04/30 昨晩もロックとまではならず、軽い違和感程度。こういう日が増えてきた。膝はまだ完全には伸ばせていない。ただ順調には回復しているようだ。何年、何十年かかるかわからないが。

スピードは出ない。まだ時速2キロ程度。

 

 2018/05/21

5/15頃から開脚スクワットの軽いものを始めた。壁で支えて床には届かない程度の軽いもの。だが結構効いている。講義テキスト、なかなかやる気が出ない。

 

2018/06/07

開脚スクワット、効果実感。膝の伸び、あとわずか。講義、時間1.5、短!時速普通2以下、2.5の時もある。

 

2018/07/15

膝、夜中の血流停止感が治まるのではないかと期待できるまでになった。開脚スクワットよし。講座終了。

 

2018/07/31

膝の状態は間違いなく改善していると思う。運動機能は、それが問題かもしれない。

意識して使える筋肉は、衰えないようにできる。意志通りに動かない部分の筋肉の、衰退を防がねば。

 

2018/08/19

伸びては来ている。右膝が曲がったまま動かないロックは、しばらくない。だがロック寸前、一瞬動かないように感じて目が覚める。動きはやはりぎこちない。寝床で右足屈伸。何とか違和感をやわらげ再び睡眠。最近のパターンである。血流停止感は改善しない。歩行スピード微向上。

 

 2018/10/04

膝、順調に伸びている。ロックはまだたまにある。

重心の位置を変えずに、足が前に出るようになりそうだ。本日午後実感。

これが可能ならリハビリではなく回復だ。

堤真一ストレッチはまだできない。右T激痛、M右膝内曲。Tは五月から、Mは昨年正月から自分で開発したつもりでひそかに訓練していたのに、テレビで仕様公開とは若干嫉妬。みんな頑張れ!

 

 2018/10/05

(発症後)動かない右半身→左半身についた錘➡重い右腕と右脚➡鉛のように重くて固い右膝➡固まった右膝・血が流れにくい右手➡曲がって伸びない右膝➡伸びてきた右膝➡(現在)動きの鈍い右脚と一体化しつつある右膝・動きの鈍い右腕の先の縮みやすい開きにくい右手

こう変化してきた。奇跡のような回復だと思う。光が見えてきた。

昨日午後からの変化の確認を本日行うつもり。重心を変えず足を出す。

 

 思ったほど急変はしていなかった。いつも通り1万歩をすぎると前日の状態に近づく。2万歩を過ぎないと調子が出ない。時速2.2㎞。去年5月まで3.5㎞。今年は2.0㎞程度で推移。多少は改善。雨が降り傘をさすと3割減、1.5㎞程度になる。五本けやきまで3時間15分。

 

重心を変えずに足を重心より前に出すことは、私にとっては回復であっても、現在右足の動きを担当している脳細胞にとっては、全く初めての動作なのだから、慣れるまではかなりかかるかもしれない。ここまで7年と3か月かかっている。

 

 

2019年

2019/01/05

新年早々、あまりよくない。靴底のすり減りが少ないのではないかと、試しに使った安全靴が、逆効果だったようだ。わずかの坂、わずかの段差で足がすくみ動けなくなる。新年、良いときで歩行速度1㎞/s。ロヂャースから帰り4時間近くかかった。宮戸神社の横道、降りられず保育園まで遠回り。新盛橋、取り付け道路の坂登れずバス利用。

 安全靴も靴底としてはダンロップ並みの強度しかなく、10日目で金属板露出。カンナの逆刃状態。つまずくため1歩も進めず、それでも浜崎から帰るだけだったので歩いたが、それが裏目。

 ポールウォークで歩くことの恐怖を取り去らねば、本当に歩けなくなる。

せっかく調子が上がりかけていたのに、失敗した。

 

2019/01/20

ますます恐怖が強まり、東洋坂も足がすくんで降りられない。ほぼ毎日ポールウォーク、時速1キロ未満。右足の「ひろのば」いったん中止すべきか。もう少しで就寝時のロックがなくなる気がするのだけれど。右膝に集中リハビリして2年。可動域は広くなったが随意には動かせない。毎日、手で手伝って動かさないとまた固まってしまうと思う。でも固まれば安定するかも。いまは、ふらつきがひどい。

恐怖心なんて気のせいだと思おうとした小さな段差(通りなれている)で2度転倒。原因を考えねば。

 

2019/01/27

25日浄水場の坂、金網つかみ岡橋不着。27日神明坂ポール使ってかろうじて△、歩道の切れ目から道路に出にくい。下痢×。

 

2019/02/02

すべての原因は下垂足!!入院中、PT黒川氏の指摘通り。隊員2年後から医師や患者会、いろいろな場で、靴底が右足つま先部分のみ減るので困ると訴えてきたが、だれも下垂足という言葉を出さなかった。下垂足という単語は、昨日つまさきをあげる方法をネット検索中に発見。合点する。下垂足を何とかする。この1か月、徐々にまったく歩けなくなりつつあったが、原因がわかれば光明もある。

 

 2019/02/03

現在状況最悪に近い。下垂足を調べたら効果的治療法なし。私の場合、足関節が動くので運動させるしかないようだ。歩いているだけでは足りなかったのだ。装具を注文しておく。

一昨日と昨日、総合体育館駐車場の舗装で右足が都度都度ひっかかり、動きが取れなくなった。下垂足ここに極まれりという感じ。背屈の特訓、始めたのでそのうち効果が出るだろう。

 

2019/02/07

下垂足➡足関節が固まりつつある

右図足関節。脛骨・腓骨と距骨の間の関節。

これが運動しなくなると下垂足になる。

なぜ、今まで誰もこれを教えてくれなかったのだろう。

 

本日 病院にて。

私. まったく歩けなくなったのです。以前からの下垂足‥つま先が持ち上がらないのがひどくなり、一歩ごとに引っかかる状態。

Dc.A.(主治医内科医). 脳梗塞再発・水頭症などCTで調べましょう。(検査後)CT画像には異状がないようです。加齢による筋肉の衰えもあるかもしれません。普段少しは歩いていますか?

私. よく歩いていました。今月は歩けていませんが。ひとからは歩きすぎじゃないかといわれているくらいです。

いま、まったく歩けなくなると困るので、装具を付けたらどうかと思うのですが。

Dc.A. つま先が上がった状態になれば歩けそうですか?装具士・リハビリ担当医に連絡します。

装具士. この装具が合いそうですね。ずいぶん踝も固くなり始めています。リハビリ担当医に処方を書いてもらい装具の型取りをしましょう。

 

ここで初めて足関節が固くなっていることを指摘された。下垂足・足関節固化、自分ではずっとわかっていて、ストレッチングボードの使用など自分なりにはいろいろやってきたつもりだった。今まで私にかかわってきた人の誰一人、「明らかにつま先上げ運動が不足している」と指摘する人はいなかった。前々主治医、内科医だがリハビリ病院の医師、は私が「右の靴底つま先部分の摩耗が激しく、数日で取り換えることもある」と話すと、「麻痺側だから力がかからないはずなのに減るの?力が戻ってきたのかな。」と言った。

 

ばね指もひどくなってきたが、とりあえずCT変化なし。スフォルチの靴20足購入したが、装具使用時は使えない。装具用の靴を買わなくてはならない。

 

本日、五本けやきの横断歩道で川越街道を4度横断(ポール使用)したが、うち2度は1回の青信号では中央分離帯までたどり着くのがやっとで、青信号を2度必要とした。

 

自分のことを、他人のせいにするのは、私が忌み嫌うことだったはずなのに、ついつい 早く誰かのアドバイスが欲しかったと思ってしまった。

 

2019年2月14日装具装着

一般的短下肢装具

短下肢装具に靴を装着したもの。靴はスフォルチ101。

装具は約5万円。病院にて装具士製作。良心的価格だと思う。

 スフォルチ活用できる。

同左。この装具はアマゾンマーケットプレイスにて購入。約3千円。非常に薄くほとんど使えない。装着ベルトも1本しかない。


装具士作成の装具(左)とアマゾンマーケットプレイス中国製の装具(右)。アマゾンでも注文2/2発送2/3到着2/18と、半月あまりかかった(在庫ありで)。